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2022.4.17 「恐れの中に頂く新しい命」(要約)  マタイによる福音書28:1ー15

1:  復活を信じた弟子、福音書記者たち

復活の記事は、マタイによる福音書だけではなく、すべての福音書に記されています。これらの記事はそれぞれ細かく内容が違うものとなっています。内容が違うということは、人に信じてもらうためには、不利な資料となるのです。なぜ弟子たちはそれぞれ違う内容の記事を記したのでしょうか。マタイやマルコ、ルカ、ヨハネは復活の証拠としての記事を記したのではなく、復活を信じて新しく命をいただくこと、信仰の出来事が起こされていくために記したのです。

 十字架の時、イエス様の死を見ることもできず逃げ出した弟子たちです。その弟子たちが、多くの反対、多くの否定、迫害のなかでも、復活を語り、記し続けたのでした。復活の記事がここにあること自体が、変えられ、新しく生きている弟子たちの姿を見ることが出来るのです。

 

2:  人間の計画

イエス様の復活の前後、11節~15節、27:62~66においてイエス様の復活を否定する人々の働きが記されています。しかし、イエス・キリストは、それらの結核がまったく無力だと表すように復活されたのです。計画を立てることは無意味なことではありません。しかし、時に、計画が打ち砕かれ挫折することもあるのです。

番兵たちは、自分たちがしなければならない仕事、計画を守ることができなかったのです。番兵たちは死人のようになった。生きる希望を失ったのです。私たちも、計画が打ち砕かれるとき死人のように希望を失うことがあるのです。突然の病気や、死、「なんでこんなことに」と思わされるような出来事によって、私たちは希望を失っていくのです。

 

3:  恐れながらも喜ぶ者

マグダラのマリアともう一人のマリアは、イエス様の墓を見に行きました。二人は死んだイエス様の遺体を見に行ったのです。二人は、死んだイエス様を見に行ったのです。死なれた方へと向かったのです。その中で、救い主の復活に出会っていったのでした。二人の女性は、恐れながらも大いに喜んだのです。女性たちは恐れを失ったわけではないのです。恐れながらもです。つまり、それこそ、困難や苦難の中、悲しみや痛みがすべてなくなったわけではない。それこそ、悲しみ痛みをもっている。それでも、そこに来てくださった救い主、十字架のイエス・キリストを見たのです。

 

私たちも、その悲しみや痛みをもちつつも、それでも喜び歩んでいきましょう。私たちは神様の計画に生かされていること。そして、そこには、イエス・キリストの復活を通した希望が、必ずあることを信じて生きていきましょう。(笠井元)