1: 聞いたもの、目で見たもの、手で触れたものを伝える
イエス・キリストは、この世に人間として、肉体をもって来られたのです。ヨハネの手紙は、イエス様の十字架と復活からは70年ほど経過した紀元100年ごろに記されたとされ、実際にイエス様に触れた者、見た者はいなかったと考えられています。ここではそのような「わたしたち」が触れ、目で見、耳で聞いたものを伝えると語るのです。この言葉は、ヨハネの手紙を記した者たちが、実際にイエス・キリストに触れた使徒たちが語る証言を継承した者であり、イエス・キリストが、時間を超え、時空を超えて、私たちと共にいてくださることを教えているのです。
2: 完全な人間となられたイエス・キリスト
ヨハネの手紙第一が記された時代には、イエス・キリストが完全な人間として来られたことを認めない者たちが現れていました。イエス・キリストは神の子であり神であった。だからこそ、人間としては完全ではないと考えたのです。また逆に、イエス・キリストは、神ではなくただの人間であったという考えを持つ人々もいました。イエス・キリストは100%神であり、100%人間なのです。これは人間の理解を超えている出来事です。
3: 神様に何を求めているのか
私たちは、神様とは何をしてくださる方と考えているのでしょうか。富を与えてくださるのでしょうか。病気を癒してくれるのでしょうか。地位や権威を与えてくださるのでしょうか。神様は私たちと共に生きる者となられたのです。わたしたちは困難に出会い、苦しみ、悩み、死と向き合うときに、イエス・キリストが共にいてくださることを覚えたいと思います。
4: 光に照らされて生きる道
私たちは神様の光に包まれています。私たちにとっての本当の闇とは、神様の愛を受け入れない者となるときです。私たちが神様を知らなくても、神様は、私たちを知っていて下さるのです。私たちが神様との関係を断ち切ろうとも、神様は手を差し伸べ続けてくださっているのです。神様はどこにあっても私たちを照らし出して下さるのです。
神様が共にいてくださることを受け入れる時、私たちは隣の人に目を向ける者とされます。もはや自分は一人ではない。イエス・キリストが、私たちと共に生きていてくださっていることを覚え、キリストの光に照らされて、隣人と共に生きる道を歩んでいきましょう。(笠井元)