1: 期待する神様
神様はイスラエルの民を悔い改めへと招かれました。神様はイスラエルを愛されました。その愛をここでは土地を与えることで表現しています。それは神様の限りない祝福を意味します。神様はイスラエルを愛し、祝福されたのです。そして、神様はイスラエルを信じて「わたしから離れることはあるまい」(19)と期待しています。神様は人間が裏切ることを前提で愛したのではないのです。そうではなく、神様の愛を人間が喜んで受け取り、愛に生きることを信じて期待していたのです。
2: イスラエルの裏切り
神様の期待に反してイスラエルは神様を裏切っていったのです。私たちは神様の心の痛みを忘れていないでしょうか。私たちが神様を裏切る時、神様はその愛の大きさだけ、大きく傷つかれておられるのです。私たちはこの神様の心の痛みを覚えておかなければなりません。
21節では「裸の山々に声が聞こえる」とあります。人々は、バアルが富や豊かさを与えてくれる神様だと信じていたのです。豊かになることがいけないのではないでしょう。ただ、私たちが求めるべきは、富を与えてくださる神様の思いです。
3: 神様の癒し
イスラエルの嘆きに神様は「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。」(22)と語ります。神様は私たちの嘆きを聞かれる時に、ただ赦すだけではなく癒しを与えてくださるのです。私たちは神様を裏切ってしまう者です。そのたびに、神様は、苦しみ、痛み、そして怒りを持たれるのです。この神様の怒りをイエス・キリストが受け取られました。この十字架の業をもって、私たちは「癒し」を得るのです。
4: 世界に広がる神様の祝福
イスラエルは「我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。」(22)と悔い改めの言葉を告白します。神様は、悔い改めるイスラエルを癒されました。私たちも「あなたこそ私たちの主なる神」と告白していきたいと思います。「主は生きておられる」と神様の救いの告白をするとき、神様の祝福は「諸国の民」全世界へと広がっていきます。神様の祝福は自分の中で留まるのではなく、世界に広がっていくのです。
5: 少しずつ耕されていく
4章3節では新しい土地の開拓について語ります。新しく土地を開拓することは、簡単なことではありません。固い土地を少しずつ掘り起こし、土を柔らかくし、水や栄養を与えていかなければならないのです。私たちは自分の心も、隣人の心も少しずつ耕され、主の福音が広げられるように祈っていきたいと思います。