1: 神学校週間を覚えて
今日から神学校週間となります。現在、西南学院大学の神学生は7名、九州バプテスト神学校の神学生は9名、東京バプテスト神学校は8名となっています。神様の御業を担うための働き手の学びが祝福されるように、また新しい働き手が与えられますようにお祈りしましょう。
2: 歴史の中に起こされた福音
ルカは、皇帝ティベリウス、ユダヤの総督ポンティオ・ピラト、ガリラヤの領主ヘロデ、その兄弟フィリポ、アビレネの領主リサニア、そして、大祭司アンナスとカイアファの名前を挙げ、時代の設定をします。ルカは、バプテスマのヨハネ、イエス・キリストの働き、十字架と復活という出来事が、確かにこの世の歴史の中で起こされた出来事であることを表しているのです。
世界を創造し、時間と空間を創造された方イエス・キリストが、人間として肉体を持ち、人間が生きる時間、空間に生きてくださったのです。キリストは歴史に生きてくださったのです。
3: 荒野とは
バプテスマのヨハネは荒野に登場しました。荒野の一つの意味は何も頼るものがない、虚無と孤独と絶望の地としての意味があります。もう一つの意味として、荒野は、出エジプトというイスラエルの民が神に救い出された後、歩み続けた地だということです。荒野とは苦難の場所、同時に苦難の中で神様と出会う場所です。
4: 困難の中でこそ神に頼る
「困った時の神頼み」とありますが、私たちは困難の時に神様を必要とします。困難の中でも神様に救いを求めないほど絶望的なことはないでしょう。だからこそバプテスマのヨハネは絶望の中、不安と混乱にある中、悔い改めを語ったのでした。神様による救いの御業を求めるように叫んだのでした。
5: 整えられる道 主が共におられる
バプテスマのヨハネは荒野で、悔い改めを語り、神様に目を向けることを叫んだのです。悔い改めとは、曲がった道、でこぼこの道を、自分の力で歩んでいくことではなく、神様が曲がった道をまっすぐにされ、でこぼこの道を平らにしてくださることを信じて委ねることです。神様が道を平らにしてくださるということは、困難がなくなるわけではありません。そこに、私たちの不安や痛みを知り共に歩んでくださるイエス・キリストがおられることが、私たちの道が整えられることなのです。私たちは主の救いを仰ぎ見、悔い改め、主の道へと導かれていきましょう。(笠井元)