最近「燃え尽き」(バーンアウト)という言葉を耳にします。一生懸命仕事をしたり、勉強をしたり、家事・育児をして疲れ果て、うつ状態になってしまうのです。喪失経験、加齢もその原因になります。人間の力や努力が決して無限ではない限り、誰にでも起こりうることです。人は空気を吸い、吐出し、ものを食べ、排泄することを考えてもいつもそれが順調にいくわけがない、神による被造物なのです。
出エジプト記3章には、イスラエル民族にとって、その信仰の原点ともいうべき出来事が描かれています。モーセが羊の群れを飼っていて、神の山ホレブ山麓にやってきた時のことでした。柴は火に燃えているのに、その柴は燃え尽きないという不思議な現象に出会ったのでした。モーセは深い挫折を経験し、燃え尽きてしまったのです。しかし、彼は、いのちの支え手である神を発見し、解放者の働きを担います。
1.モーセのこれまでの人生の概観
エジプト王の子としての育ちとヘブライ人である二重性から来る苦悩。激情と正義感からの行動とその挫折。「放浪者」としての歩みと結婚。なお癒えぬトラウマを抱えて。
2.イスラエルの苦悩に連帯する神
7節「主は言われた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを、つぶさに見、追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞き、その痛みを知った。』何と心温まる言葉でしょう。燃えていて燃え尽きない情熱の神は、エジプトで奴隷状態にあったヘブライ人の悩みを見、彼らの叫びを聞き、彼らの苦しみを知られるのです。「見る」「聞く」「知る」という力強い動詞が用いられています。これは2:23以下にも現れています。主なる神は「イスラエルの苦悩と連帯してくださる」のです。そして、天の上でじっとしておられずに、イスラエルの人たちの苦しみのただ中に下り、彼らを救い出し、導き上るというのです。
3.神に新しく出会ったわたしたちは、新しい生き方をするように招かれています。神は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」父祖たちの神であると同時に、「有って有る者」「ヤハウェ」という名の神、存在するものすべてをその根底から支える普遍的な神です。私たちは日本人であることを誇りにしながら、民族の壁を超えた新しい国のために、自由、平等、人権、武力によらない平和を求める友好など普遍的な価値のために献身して生きる者でありたいと思います。参議院議員選挙の日に(松見 俊)