本日から、私の説教の担当の主日には、いわゆるモーセの「十戒」に耳を傾けたいと思います。しかし、いったいなぜ今頃、「十戒」なのでしょうか?
速水健朗の『1995年』(筑摩新書、2013年)を読みました。1995年には阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こりました。「これまでの常識が通用しない」、「何が起きても不思議ではない」時代の到来を予感させ、その後「なんでもあり」という風潮が支配しているようです。価値の基準が「浮遊している」社会です。だからこそ、人間はどのように生きるべきか、その基本を学ぶために「十戒」に耳を傾けることは今日なお、いや今日だからこそ、意味があります。
1.「十戒」の成り立ち:神と人間との関係を定める2枚の板。特に戒めの「動機づけ」の処がイスラエル固有のものであり、紀元前13世紀に遡ります。
2.神はこれらすべての言葉を告げられた:最初の言葉は「語られた」です。神は語り掛ける神です。この言葉を聞くことなしに、この神様との生きた関係なしに、私たちは十の戒めに聞き従う根拠もないし、動機付けもないし、力も持つことはできないのです。「十戒」は私たちの自由と平等、平和を求める旅の道案内です。
3.神の自己紹介 YHWH:第2節は、神が「自己紹介」され、「私は主(ヤハウエ)であり、あなたの神である」言います。私たちが信じる神には名前があるのです。つまり、神は、私たちと関わってくださる神、あえて名を名乗り、私たちと関係を結ばれます。神の名は、ローマ字でYHWHの「聖四文字」です。名をもって自己紹介する神を無視するとき、人は様々な誤りに陥ったり、混乱や不安の闇に包まれます。
4.「あなたの神」:そしてこの神は「あなたの神」であると言われています。「わたし」としての神が「あなた」としての皆さんに出会って下さり、「わたし」としての皆さんは神を「あなた」と呼ぶことが許されるのです。
5.奴隷の家からの解放者である神:そしてその神は「エジプトの地、奴隷の家からあなたがたを導き出した」お方であると言います。エジプトはピラミッドやスフィンクス、ミイラ(死後の世界への興味)で有名です。外見は華やかでも、「ミツライーム」とは「どん詰まり」を意味しています。人間を抑圧し、多くの奴隷が存在したのです。
6.自由に向けて生きる:「わたしはあなたを奴隷の地から導き出した神である」。この恵みに応答して、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という生き方へと召されているのです。ボンヘェッファーは「信じるものだけが服従することができる」「服従するものだけが信じることができる」と言いました。教会が証言するべきこと、なすべきことは重大です(松見俊)。