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2022.7.31 「主なる神のみを神とする」(要約)  出エジプト記20:1-3

 モーセの「十戒」の第一戒は「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」という戒めです

 

1.第一戒は排他的か?

この戒めに日本の知識人はすぐさま反論し、政治家がキリスト教信仰を批判するために利用します。要約すれば、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教は他の神々を認めないので排他的であり、好戦的である。それに対して八百万の神を信じる多神教の日本社会はとても寛容で素晴らしい」ということになるでしょう。しかし、決してそうではありません。

 

2.多神教は寛容か? 問題は「単一神教」である

「日本人の信仰は多神教であるから他者に寛容である」というのは本当でしょうか?かつて天皇を絶対化してアジア・太平洋地域に侵略し、韓国朝鮮人の姓名を奪い、天皇を中心とする国家神道を強制し、それを批判した者を徹底的に弾圧したのは日本社会、日本の民衆ではなかったでしょうか。今日では、経済効率、お金や社会的地位をあたかも神のように慕っていることを考えなければ、政治家や高級官僚たちの不正の数々の説明がつかないことでしょう。つまり、問題は唯一神教か多神教か、排他的か寛容かというような単純な「あれか、これか」の問題ではないのです。そうではなく、この世界にある何かを、それがあたかも絶対的なものにして祀りあげてしまう「社会的信仰」、人間の罪が問題なのです。リチャード・ニーバー:唯一神信仰と単一神信仰(社会的信仰)の違いを指摘しています。ポール・ティリッヒは「信仰」とは究極的関心事(ultimate concerns)の一つであると言います。何かの関心事がない人などいないのです。ですから問われていることは神を信じるかどうかではなく、あなたは何を神としているかなのです。

 

3.自由への招き

この戒めをヘブライ語から直訳すると「私の顔の前で(顔に向かって)、あなたのために、他の神々をあらしめてはならない」となります。第一は人間が人間となり、この世のものがこの世のものになっていく「自由への招き」です。

 

4.究極的な関わりとしての信仰

 

 拝金主義と自国絶対主義から自由になること。「マモンを持たなくとも、嘆かず、悲しまず、常に明朗である人はほとんど見当たらない」(ルター)。まさに私たちの姿を言い当てています。大きな金というより、ちょっとした金が私たちを揺さぶるのです。さらにもっとも危険なものは、自国中心主義です。一神教対多神教、欧米対日本などという対立図式でものを考えるのではなく、人はすべて、真の神を神とする、それ以外のものを神としないように呼びかけられているのです。他者を尊重し、自分を尊重する自由人として生きましょう。(松見俊)