1: 兄弟たち
パウロは「兄弟たち」と呼びかけました。現在では「姉妹たち」とも付けるべきですし、その順番も考えなければならないでしょう。パウロは、コリントの教会の人々に、神様にあっての家族、愛の関係にある者として語るのです。パウロのこの手紙は、喜びに溢れて、コリントの人々をほめた手紙ではありませんでした。むしろ、コリントの人々が分裂し混乱に陥っているために、もう一度道を整えるための教え、勧告ということができるのです。だからこそ、パウロはコリントの人々に「兄弟」と語り、自分がコリントの人々を愛しているという思いを示しているのです。
2: すべてはあなたがたを造り上げるために
コリントの教会には混乱があり分裂が起こっていました。別の見方をすると、活気があってにぎやかであり、積極的に行動する人々が多くいた。異言を語る人が多くおり、女性もよく語っていたのです。しかし、コリントの教会は、それらをコントロールすることができていなかった。そのため、無秩序な状態になってしまっていたのです。
パウロはコリントの教会に秩序を持つようにと教えたのです。
「イエスを主と告白する」(12:3)、「賜物はそれぞれ違っていても、キリストにおいて一つ」(12:5)、「互いに一つの体の部分のように助け合い、キリストの体を現す」(12:25-27)「キリスト教の本質は愛であり、愛がなければすべては無である」(13:1-3)何よりも「すべてはあなたがたを造り上げるためにすべき」(14:26)だと教えるのです。異言を含めた、賛美や教え、そのような様々な行為が、自分のためではなくお互いを造り上げるため、口語訳では「徳を高めるため」に行いなさいと言われているのです。
3: 無秩序ではなく、平和の神だからです
お互いを造り上げるためにパウロは31節から教えました。「皆が共に学び、皆が共に励まされるように」・・・これは、現在の私たちにとっても大切な言葉となるでしょう。
【神は無秩序の神ではなく、平和の神】(14:33)だと教えます。パウロは、神様は、無秩序の神ではなく、平和の神だと教えます。「無秩序の神ではなく秩序の神」ではなく「平和の神」なのです。無秩序から、ただの律法主義になるのではなく、平和へ。これこそキリストによる恵みを土台とした生き方、「自由の道」なのでしょう。
4: 差別を生み出すのではなく
34節後半から教会における婦人たちへの勧告の言葉となります。注解書では、「この言葉は、パウロの言葉ではなく、後代の挿入という説が有力とされている」とありました。パウロ一人の女性観ではなく、キリスト教会が自分たちが周囲から認められるために、周囲の社会常識、社会の価値観に合わせて今日の箇所を挿入したとしたならばら、それこそ大きな問題です。
このような考えが歴史的にキリスト教会にあり、現在も続いている。キリスト教が差別や偏見を生み出してきていることを覚えておく必要がある。だからこそ、いつも「神様を中心」に、また「弱い立場にある人」に目を向け、み言葉を聞いていく必要があるのです。
5: すべてを適切に、秩序正しく行いなさい
最後に、パウロは39節において「わたしの兄弟たち」と、もう一度語り、「預言することを熱心に求めなさい」「すべてを適切に、秩序正しく行いなさい」と教えます。「適切に」「秩序正しく」「平和の神」に耳を傾けて、歩み続けていきたいと思います。(笠井元)