今日はバプテスト東福岡教会の召天者追悼記念礼拝です。「記念すること」はユダヤ・キリスト教信仰にとって極めて大切な事柄です。私たちは、毎週イエス・キリストを思い起し、記念します。また、ヘブライ語(旧約)聖書でも「覚えること」「心に留めること」「記念すること」は極めて大切です。イスラエルの人々はまさに、歴史・世界における神の恵み・憐れみを記念する民でした。
皆さんはメーテルリンクが書いた『青い鳥』という童話をご存知でしょう。貧しい樵の子チルチルとミチルが「幸せの青い鳥」を探す旅に出るのです。まず、「思い出の国」に出かけます。そこにはすでに亡くなった懐かしいお爺さんとお婆さんがいました。お婆さんとお爺さんは、孫たちに「私たちを思い出して欲しい。私たちを思い出してくれるそのときだけ私たちは生きることができるのだ」というのです。私たちがすでに亡くなった、愛する者たちを思い出すその時、彼らは生き生きと私たちの中で息づくのです。しかし、一年に一度、妻、夫、父や母、我が子、兄弟、姉妹を思い出すときにのみ、彼ら・彼女らは生きるのでしょうか?そうではありません。「記念すること」を軸にして聖書の言葉を読んでみましょう。
1.人とは朽ちるべきものである(53~54節)
記憶するべき第一のことは、人とは「朽ちるものである」ということです。長寿でも120年、一般的には70~80年が寿命の長さであり、人は死ぬように定められていることです。「死を覚えよ」ということです。
2.「朽ちないものを着る」
しかし、私たちが記念し、記憶すべきことの第二は、私たちは「朽ちないものを着る」ようになること、「死なないものを着ることになる」という真実です。死はイエス・キリストの愛と憐れみと復活のいのちによって克服されてしまったという真実です。
3.棘を抜かれた死を死ぬこと
記憶すべき第三のことは「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう。」とあるように、すでにイエス様の身元、つまり、「天に」召された皆さんの愛する者たちや私たちは棘を抜かれた死を死んだのであり、棘を抜かれた死を死ぬだけなのです。外見的に別離はしていても、人間同士の関係性は神にあって繋がれています。ですから、神への感謝と賛美こそ私たちにふさわしいことです。
4.主の業に励むこと(58節)
この三つのことを覚えて、私たちが応答すべきことは、「愛する兄弟姉妹たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主イエス様の愛の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」ということです。(松見俊)