1: 癒しと罪の赦しと信仰
イエス様は「人よ、あなたは癒された」ではなく、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われました。イエス様は、人々の「信仰」による、「罪の赦し」、「癒し」が起こされたのです。このイエス様の言葉に対して、ファリサイ派の人々、律法の教師たちは、イエス様は神様を冒瀆していると考えました。この出来事は、人々がイエス様の前に屋根をはがしてでも、連れて行ったことによって起こされたのです。
2: 病と罪の関係
当時の社会で病気になることは、何らかの罪を犯したからだと考えられていました。神様から離れ不信仰に生きた。そのため神様からの御業として病を与えられたと考えたのです。中風の人本人も自分がしたことに対する神様の御業、罰を受けていると考えていたのではないでしょうか。そして、私たちも同じように考えることがあるのではないでしょうか。
3: 共に祈り合う
イエス様は中風の人を連れて来た人たちの信仰を見て「あなたの罪は赦された」と言われたのです。私たちが、教会という信仰共同体で生きることの大切さを教えられるのです。私たちはお互いの祈りによって、神様と向き合う「癒し」「罪からの解放」を得ているのです。
私たちは共に祈っていきたいと思います。教会は、イエス・キリストを中心に祈り合う集団です。祈り、祈られる関係に生きるのです。私たちは自分のことを知ってもらい、隣人の悩みや苦しみを知るのです。これが教会です。
私たちは、この争いの絶えない社会にあって、イエス・キリストを中心とした教会として存在します。教会は、この世界にあって、傷つけられている人、そして他者を傷つける者のためにも、祈り続けたいと思います。この世界に「神の御国が来ますように」、「神様の平和が来ますように」と祈り続けましょう。
4: イエス・キリストが来てくださる
私たちが集まる時、そこにイエス・キリストは来て下さるのです。人々は中風の人をイエス様の前に連れていくために、屋根に上り瓦をはがし、イエス様の前につり降ろしたのでした。人々は、そこまでして、この人がイエス様に出会うことを求めたのです。わたしたちも共に祈り合い、お互いがイエス・キリストに出会うために共に生きていきたいと思います。
イエス・キリストは、私たちのために命をかけて来てくださいました。私たちのところに、イエス・キリストは来てくださっている。このことを信じて祈り続けましょう。(笠井元)