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2022.11.30 「信仰に基づいてしっかり立ちなさい」 Ⅰコリントの信徒への手紙16:13ー24

1:目を覚ましていなさい

 パウロはコリントの教会にある「分裂」「みだらな行い」「結婚」「偶像礼拝」「主の晩餐」「賜物」「異言と預言」「復活」など多くの問題に対して語ってきました。そして終わりの言葉として、「目を覚ましていなさい」と言い、「信仰に基づいてしっかり立ちなさい」と教えるのです。

目を覚ましているということは、自分の努力、強い思いによって誘惑に負けることなく歩み続けることとして受け取ることもできます。しかし、目を覚まし、信仰に基づいて立つとは、神様の一方的な愛に信頼して生きることです。

 イエス様も何度も「目を覚ましていなさい」と言われました。終末・再臨の時を待つ言葉として、ゲッセマネでの祈りの時にも語られました。(マルコ14:36-38、マルコ13:32-37)イエス様は、「どれほど苦難の中にあっても、必ず主イエスが来て下さるから希望を見失わないでいなさい」と教えるのです。 

 私たち自身の思い、肉体には限界があります。私たちは、自分の力の限界を神様の限界としてしまい、神様に期待しなくなり、希望を見失うのです。私たちは、私たちの思いをはるかに越えて、愛してくださっておられる神様に目を向けていきたい。目を曇らせないで、見るべきものを見て、ただ神様の一方的な愛に期待し続けるに立ち続けていきましょう。

 

2:雄々しく強く生きなさい

新共同訳聖書では【雄々しく強く生きなさい】(13)と言います。「雄々しく」という言葉は新約聖書ではこの箇所のみで使われ、「強く」という言葉もパウロ書簡ではこの箇所のみの言葉となります。「雄々しく」という言葉を、口語訳、新改訳では「男らしく」と訳しています。

1985年に出版された本には、この言葉を「教会内の文派分争は、極めて陰湿な女性的な(差別用語と叱られるかもしれないが)現象である。『男らしくあれ』は、まさに適切な言葉といってよいだろう」と説明していました。40年ほど前は、このようなことが言うことが許されていたのでしょうか。

「雄々しく強く生きなさい」(Ⅰコリント16:13)は、自分の弱さを認め、ただ神様の愛に留まるという強さ、信じ続ける雄々しさです。(ヨハネ16:33)(Ⅱコリント12:7-10

私たちは信仰に基づいて立ち続けたい。もちろん「男」も「女」も関係ありません。神様が私たちを愛し、イエス・キリストが十字架で死に、復活され、この世に勝たれたという出来事にすべてを委ねて、希望をもって生きていきたいと思います。

パウロは続けて、【何事も愛をもって行いなさい。】(14)と言います。自分の愛ではなく、神様が注いでくださっている尽きることのない愛を受けていきたいと思います。

 

3: 互いに支え合う

17節では、ステファナ、フォルトナト、アカイコと三名の名が挙げられます。ステファナ一家は「アカイア州の初穂」と、コリント地方での最初のキリスト者とされ、1章16節に【 もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。】とあるように、パウロがバプテスマを授けた人たちです。パウロはこのステファナの一家の助けを受けて、コリントの教会を設立していったのでしょう。そして19節で「アキラとプリスカ」と名前を挙げます。

コリントの教会は、多くの人々の奉仕、労苦によって立てられ、そして今、多くの兄弟姉妹の祈りによって立てられているということを教えているのです。(Ⅰコリント16:20)あなた方は自分一人で立っているのではない。励まし合い生きるようにと教えているのです。

 

4: マラナ・タ(主よ、来てください)

パウロはこれまで口述筆記でした。21節から自分でペンを取り、最後の挨拶を記したのです。「マラナ・タ」、「主よ、来てください」。私たちは主の祈りで、「御国を来たらせたまえ」と祈ります。イエス・キリストがこの世に再び来て下さるということを待ち望みたいと思います。そしてそのために祈り続け、働き続けていきたいと思うのです。共に「マラナ・タ」、「主よ、来てください」と祈り続けていきましょう。(笠井元)