1: 神の前での正しい者とされる
ザカリアはアビヤ組の祭司であり、エリサベトは祭司の娘とであると紹介されています。ここでは二人の正しさ、清さを語ります。そのうえで二人には、子どもがいなかったことを語ります。神様の前にあって、二人の正しさは、子どもがいるかいないかということでは変わりません。しかし、当時のユダヤの社会で子どもがいないということは、正しくない者であると考えられていたのでした。神様がどのような者をも愛しているということは変わらないのです。私たちは、すべての者が正しくない者でありながらも、神様は私たちを愛してくださっているのです。
2: ザカリアの願いは聞き入れられた
ガブリエルは「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。」(13)と言いました。この時、ザカリアは何を願っていたのでしょうか。ザカリアは祭司としての働きの中にありました。この時ザカリアが願うべきことは、イスラエルの祝福を願うべきなのです。そのうえで、ガブリエルは、ザカリアに子どもの誕生を伝えました。ザカリアの子どもの誕生は、ただ、ザカリアとエリサベトを喜ばせるためだけの出来事ではなく、多くの人がその誕生を喜び、その子ども、バプテスマのヨハネによって、イスラエルの人々が神様のもとに立ち帰ることを教えているのです。私たちは何を願うことも許されています。そのうえで、神様は私たちの思いを超えて働いてくださるのです。
3: しるしとして与えられた沈黙
ザカリアはガブリエルの言葉を信じることが出来ませんでした。そして「しるし」を求めたのです。 ガブリエルは「あなたは口が利けなくなる」と言い、これが「しるし」とされたのです。神様のしるしとして「口が利けなくなる」ということから、神様からのしるしとは人間的に良いことばかりではないということを知るのです。「口が利けなくなる」ということは、「沈黙」を与えられたとも読むことができるでしょう。「沈黙」は、ほかの誰とも語り合うことなく、神様と向き合う者とされたということでもあります。
4: 祈り、キリストの誕生を待つ
ザカリアは、沈黙の中、神様と向き合う祈りの時を頂いたのです。今、私たちはアドベントとして、イエス・キリストの誕生を待ち望む時を迎えています。私たちは、心を落ち着かせ、祈りつつ、主イエス・キリストの誕生を求めていきたいと思います。祈りは神様と生きる関係を繋ぐのです。私たちは今、イエス・キリストがこの世界に来て下さることを願い、祈り続けていきたいと思います。(笠井元)