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2023.1.1 「命の息を吹き入れられた者」(要約) 創世記2:4b-7

1:  喜んで生き、喜んで死を迎える

 今日から新しい一年が始まりますが、皆さんは一年の目標は何か考えたでしょうか。私が学生の頃にいた教会では元旦礼拝の後、自分の死をどのように迎えるかを考える時をもっていました。キリスト教にとっての死は、神様の御許に迎えられることであり、自分がどのように神様に迎えられることを考えることから、一年の自分の生き方を考えていきたいということから始めたそうでした。

 死とは人間を神様が受け留めて迎え入れてくださる出来事です。神様の愛によって包み込まれる出来事であり、罪の思い、悲しみ、絶望から解放される希望の出来事です。私たちはどのように生きて、そしてどのように死を迎えようとしているでしょうか。

 

2:  価値ある者とされた

 私たち人間は土の塵で形作られたのです。「塵から造られた」と聞くと自分は価値のない者と言われているように感じるかもしれません。しかし、神様が手を差し伸べ、塵を形づくり、人間を造ってくださったのです。しかも、神様は「命の息を吹き入れられた」のです。この出来事によって、人間は「ただの価値のない土の塵」から、「価値ある者、神様に形作られ、命をいただいた者」とされたのです。

 

3:  土を耕す者、顔に汗を流してパンを得る者として生きる。

 

私たちは生きるため、パンを得るために、顔に汗を流して働くことが必要とされるのです。しかし、その必要を満たすことだけを求めていくとき、それはいつの間にか、「自分のために働く」「自分がよりよいパンを得るために」となってしまうのです。神様が教える生き方は、「自分のため」に生きることが中心ではないのです。神様に造られた自分を大切にし、そして神様の造られた隣人を大切にして、私たちは生きるのです。私たちは、自分の力で命を造り出すことはできないのです。あくまでも、神様によって形作られ、命の息を吹き入れられた者であり、そしてパンを頂き、養われて生かされているのです。神様の恵みを土台として、神様の恵みに応える者として生きるのです。私たちは、この生き方を覚えて新しい一年も歩んでいきましょう。(笠井元)