1: 孤独なレビ
徴税人レビはお金持ちでした。しかし、この徴税人という仕事はみんなが目指す、素晴らしい仕事というわけではありませんでした。徴税人は、ユダヤ社会では、自分たちを苦しめるローマ帝国に仕える裏切り者とされていたのです。だからといって徴税人は、ローマ帝国の社会においても大切にされたわけでもなく、ただの都合のよい小間使いでしかなかったのです。レビには心と心を通わせて、一緒に笑い、一緒に悲しみ、一緒に生きる者はいなかったのです。レビは、お金持ちでしたがいつも孤独でした。イエス様はこのレビを招かれたのです。
2: 罪人とは誰のことか
レビはイエス様の招きに応え、従い、宴会を催しました。イエス様の言葉、「私は罪人を招くために来た」という言葉は「あなたは正しい人ですか。それともあなたは罪人ですか」と問われている言葉として聞くことができます。ファリサイ派の人々、そして律法学者たちは、神様に従おうと思っていながらも、神様を愛し、隣人を愛するということから離れて、律法を守ることだけに集中してしまったのです。このようなファリサイ派の人々、律法学者たちに対して、イエス様は、「あなたは本当に正しい人ですか。むしろあなたがたも罪人ではないのですか、そのようなあなたがたのためにも、私は来たのです」と語られているのです。
3: 罪人を招かれる方
私たちも「あなた方は自分が正しい人だと思うでしょうか。それとも、自分は罪人だと思っているのでしょうか」と問われているのです。罪人とは、ただ何か悪いことをした者ということではありません。心の中心に神様に来ていただくことから離れてしまう者です。神様の御心にそって間違えることなく生きることができる人間はイエス・キリストただ一人だけです。私たちは神様から目を離してしまう者なのです。それは徴税人レビ、ファリサイ派の人々、律法学者たち、イエス様の弟子たち、そして私たちもです。イエス様は、罪人、つまりすべての人間を招かれているのです。
4: 悔い改める
ルカによる福音書には「悔い改めさせるため」という言葉があります。悔い改めることは、これまで生きてきた生き方から方向転換をすることです。レビは、イエス様の「わたしに従いなさい」という招きに対して「何もかも捨てて立ち上がり、従った」のでした。イエス様の招きに応えたレビは、孤独から解放されたのです。イエス様は、すべての人間を招いてくださっています。そしてすべての者が悔い改め、新しい道を歩き出すことを願っているのです。私たちもイエス様の招きに応えて、悔い改めて立ち上がりましょう。(笠井元)