1: 断食、律法への対応
ルカによる福音書、使徒言行録が記された時代は、イエス様の福音がユダヤ人社会から異邦人社会へと広がっていた時代でした。ルカによる福音書はキリスト教会が、異邦人社会に広がる中で、ユダヤの律法にどのように対応していくべきかをも記しているのです。ユダヤの社会・律法では、祈りと施しと同じように大事なものとして断食があり、それを守ることが正しい生活であると考えられていたのです。
2: 救いを得た者が生きるために与えられた律法
ユダヤの社会では律法を守ることによって正しい者とされていたのです。それに対して、イエス様は人間が何かをすることによって正しい者とされるという考え自体を指摘されています。律法は、本来は神様の救いを受けた者が、神様に仕えるための道筋を教える言葉です。しかし、その律法を守ることに固執してしまうことで、いつの間にか、律法を守ることによって救われるものと変わってしまい、結果、律法を守る自分が正しいとし、律法を守らない人を裁く言葉となってしまったのでした。
3: 花婿が奪い取られた
花婿とはイエス様のこととなります。「花婿が一緒にいる」とは「イエス様が一緒にいてくださる」ということです。この時イエス様は共に食事をすることで、共にいることを教えられたのです。「花婿が奪い取られる時が来る」とはイエス・キリストの十字架の時が来ることを意味します。断食はただ食事をしないということではなく、神様に礼拝し、祈ることです。私たちはイエス・キリストの十字架を覚えるために礼拝と祈りをしていきたいのです。
4: 自分に頼るのではなく、キリストにより頼む
イエス様はたとえ話として、新しい服を裂き古い服に継ぎを当てたり、新しいぶどう酒を古い革袋に入れてもうまくいかないという話をされました。イエス様は、断食の問答を通して言われたように、当時のユダヤ社会においてなされていた形式的な律法に、新しいイエス・キリストの福音の言葉はとらわれる言葉ではないと語られたのです。
5: 御心を求め続ける
神様に愛されている私たちは、神様を愛し、隣人を自分のように愛するという指針をもって、日々、どのように生きればよいのか、悩みつつ、神様の御心を求めつつ、生き続けていきましょう。(笠井元)