1: 敵と味方
聖書には実際に実行に移していくことが難しいと感じる言葉があります。「敵を愛する」という言葉もその一つではないでしょうか。ここでは対照的な言葉、「敵」と「自分を愛してくれる人」とあります。ただ私たちの人間関係は、こんなにも明確に「敵」「味方」と分かれていないでしょう。「どちらでもない」という人が一番多いのではないでしょうか。イエス様は、このような私たちに、「あなたの敵を愛しなさい」と言われます。イエス様は、人間関係において「敵」「味方」と区別することなく「すべての人を同じように愛しなさい」と言われています。
2: 人間の不完全さ
すべての人と同じだけの愛をもって関わることができるでしょうか。イエス様の言葉を聞くときに、私たちは、自分の不完全さを教えられます。イエス様の「あなたの敵を愛しなさい」という言葉は、人間の不完全さを私たちに教え、同時に、人間が隣人と関わるためには、神様の愛が必要であることを教えます。私たちは、自分の不完全さを知る時、否定的になるのではなく、むしろだからこそ、神様が私たちを愛してくださっているということを受け取っていきたいと思います。
3: 神様が他者を愛することを受け入れられない
人間は、神様が完全なる愛で他者を愛することを赦すことができない者でもあります。旧約聖書にはヨナ書という箇所があります。ここでは他者を赦す神様の愛を受け入れることができないヨナの姿が描かれています。ヨナは、アッシリアのニネベの人々が悔い改め、救われたことを受け入れることができませんでした。これはヨナの心が狭いのではなく、人間の愛の限界がそこにあるのです。人間は敵でなくても、自分よりだれかが愛されることを受け入れることができないことがあるのです。
4: 敵・人間を愛された神様
神様は、御子イエス・キリストを十字架にかけられ、私たちすべての人間に、神様の愛を示されたのです。神様は、愛することができないでいる私たちに、イエス・キリストの十字架を通して愛を与えてくださったのです。私たちは、自分自身の力で、お互いを認め合うこと、受け入れあうことはできません。神様の愛を受けていきたいと思います。
5: お互いのために祈る
私たちが、「敵を愛する」ということは、お互いのために祈ることから始まります。イエス様は「祈りなさい」と積極的な愛を教えられています。私たちはイエス・キリストの祈りによって神様の愛を受けているのです。私たちはキリストの愛を受け、お互いのために祈り合っていきたいと思います。