1、本当の自分と出会うために
皆さんは今、何を信じて生きているでしょうか。これが正しいと考え、実行していること、今、大切にしていることはありますか。近年の流行り言葉として、「自分軸」をよく耳にします。自分軸は「自分がどうしたいか、どうありたいのか」「何を信じて生きていけばいいか」を基準に行動することを意味する言葉です。変わりつつある世界で、「自分軸」を持って自由に生きることは、どんなに素晴らしいことだろうと思います。しかし、「自分軸」はすぐに持てるものではなく、人の成長に時間がかかるように、「自分軸」も時間をかけてゆっくりと身につける必要があります。柔軟な心を持っていろんな相手と関わり、様々なことを経験し、知識を身につけていくことも大切でしょう。
2、世界と出会いなおす経験を通して
今年2月の下旬、約一週間、西南学院大学主催の海外ボランティアワークキャンプに大学生と一緒に参加しました。参加者学生が、実際に現地の方々に教わりながら、服などを洗う洗剤を作ったり、台ふきや鍋敷きで使用するためのマサハンを布で塗ったり、男性が生計を立てるための労働として、トライシカッドの運転を体験したりしました。マサハン一枚を、2ペソ(日本円4円)という安い値段で売ること、トライシカッド運転手の一日稼いだ賃金は、家族全員を養うのにやっとの金額だということを知った学生は、戸惑いました。しかし貧困地域に住んでいるとは思えないぐらいの明るさ、優しさを持っている人たちと出会った学生たちは、貧困地域に住む「人々」を勝手に「貧困」と決めつけることは違うんじゃないか、と現地の方との出会いを通して、気づかされました。
3、復活のイエスと出会いなおすトマス〜新しい信仰の形を問う〜
今日の聖書は、十字架で死なれ、葬られたはずのイエス・キリストが復活し、弟子たちの前に現れた場面です。たまたまその場に居合わせなかった弟子トマスは、イエスを見たという仲間たちの証言を聞いて、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」意地を張って言いました。不安で、寂しくて、やがて信仰共同体の中で孤立へと向かうということにもなりかねないトマスのことを、イエスは放っておけなかった。八日後に、イエスはもう一度彼のために来てくださいました。その傷跡に触れたトマスは、イエスはこのちっぽけの私のために死んで生き返ってくださったのだ、と気付き、「私の主、私の神」と告白したのです。
4、傷を持って復活された主ーインマヌエル
イエス様は、弟子たちが思い描いた理想の英雄の姿で、神の真理と救いを示さなかった。その逆の道を歩まれました。貧しくなられ、力を捨て、十字架という残酷な刑罰で殺されてしまいました。なぜでしょうか。「力を捨てることでしか得られない平和がある」、「ご自分の命を犠牲にすることでしか与えられない救いがある」とイエスは伝えたかったのではないでしょうか。孤独、疑問、挫折の中にいたトマスを放っておけなかったイエス様は、昨日も今日も、明日も私たちと共にいてくださいます。(劉雯竹)