1: 良い言葉、悪い言葉
皆さんは善い人間、良い言葉を語る者となりたいでしょうか。それとも、周りの人が善い人となり、良い言葉をかけてもらいたいでしょうか。私は、自分が善い人間となることよりも、善い人に囲まれて、良い言葉をかけて欲しいと思います。ただ、社会はそれほど甘くはありません。一番苦しいのは、誰からも何も言ってもらえないことではないでしょうか。私たちは、お互いのことを考えているでしょうか。 私たちをいつも考えてくださっている方はイエス・キリストです。イエス・キリストを心に入れることが、良いものを心に入れることなのです。
2: キリストを心に入れる
私たちはイエス・キリストを心に入れているでしょうか。義とされる者とは高ぶる者ではなく、へりくだる者です。良い人は悔い改める者です。自分の弱さを認め、「神様、助けて下さい」と祈り求めることこそ、イエス・キリストを心に迎えることになるのです。悪い木、悪い人とは、神様の注がれている聖霊を心に受け入れない者、必要としない者です。高慢になり、イエス・キリストという霊を心に受け入れない時、私たちの心は蝕まれていくのです。そのような私たちに心の蓋をもう一度開いて聖霊を受けましょうと教えているのです。
3: 信仰義認
神様はイエス・キリストによって無条件で私たちを愛されています。神様の愛は変わることはありません。私たちは神様の愛に応答していきたい、変えられていきたいと思うのです。神様の愛によって変えられていく時、私たちは救いを実生活で受け取っていくことになるでしょう。
4: 嵐がきたときに
二人の人が出てきます。二人はどちらも家を建てています。つまり、どちらにも神様の愛は注がれているのです。そして、どちらにも「嵐」は来るのです。私たちは必ず、「洪水」「嵐」といった困難を受け、時に、生きる希望を見失うのです。一人は地面を深く掘り下げ、土台を作っていました。それは、イエス・キリストを心に迎え、その言葉を真剣に聞き、どのように生きるかを考え、生きた者を意味します。イエス・キリストは私たちと共にいてくださるのです。嵐の時、私たちは、イエス・キリストを心に受け、心から出していきたいと思います。困難の時こそ、私たちは共に生きていく道を選びとっていきたいと思います。(笠井元)