1: パウロの不安
パウロは自分たちのことを「神の協力者」とします。これはパウロが「私は神様と共に働く者だ」と誇り高ぶっている言葉というよりは、むしろ不安さえもうかがえる言葉です。コリントの人々に疑われることによって、パウロ自身が、そのような不安を持つようになっていたとしてもおかしくはないでしょう。そのような状況の中で、パウロは「自分は神の協力者です」と語るのです。これは、自分は神様の救いの計画の一つの役割を果たしている者なのだと、自分の立ち位置を確認するという意味も含まれていたのではないでしょうか。
2: 神から頂いた恵みを無駄にしてはならない
パウロは【神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。】(6:1)と教えます。神様から頂いている恵みを無駄にするとは、一つは神様が送ってくださっている恵みを拒むこと、もう一つには、神様の恵みを自分のところで留めてしまうことです。私たちは神様の恵みを無駄にすることなく受け取っていきたいと思います。
私たちは、ただ一人で福音を頂くのではなく、共に頂くということを覚えたいと思います。福音は、自分一人で聖書を読み、勉強して、生き方を考える、人生訓のようなものではありません。福音は、御言葉を受けて恵みを分かち合っていく。「証し」。聖書の御言葉を共に聞き、共に考え、受け取っていく。「CS」、「祈祷会」。そのような交わりの中で、神様の恵み、愛を無駄なく受けとり生きていきたいと思います。
3: 今や、恵みの時、今こそ、救いの日
2節の「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」という言葉は、新しく来られた方や求道中の方に、「今こそ福音を信じましょう」と、新しくキリストの福音を信じることを勧めるために使われることが多い言葉とされています。
ただ、本来これは、パウロがコリントの教会の人々に語った言葉です。キリスト者は神様の招きのもと、大きな決断をもってバプテスマを受け歩みだします。信仰生活はそこから始まるのです。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」という言葉は、神様と出会い続けることの必要性を教えます。私たちは神様に出会い、喜び、また神様から離れ、しかしそれでも神様が私たちを愛してくださっているという恵み、救いを何度も何度も受け取っていくのです。それは神様から離れてしまう自分の弱さに苦しむということではなく、私たちを何度でも引き戻してくださる神様の愛を受け取っていきたいと思うのです。
4: 神の力
パウロは3節から、自分はしないと言っていた「自己推薦」「自己弁護」としての言葉を語ります。パウロは、具体的な内容として「苦難、欠乏、行き詰まり、むち打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓」と9つの困難を挙げます。パウロは、自分はこのような困難の中にあっても、「大いなる忍耐」をもって歩んできたと語るのです。
そして、そのために、持ち続けてきた神の恵みとして「純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力」を挙げます。「純真」はパウロの働きの純真さを意味します。「知識」とは福音に対する理解です。「寛容」とは忍耐を持ち続けること。「聖霊」とは、神の霊としての聖霊ではなく、パウロの心の内を意味するとされます。「偽りのない愛」とは、パウロの働きが、偽りのない使命を受けて、神様の愛を伝えているということ。「真理の言葉」とは、パウロが語った言葉に嘘が混ざっていることはないということです。
そして、それらすべてを支える「神の力」があるのです。困難は忍耐を生み、忍耐は練達を、そして練達は希望を生み出すのです。(ローマ5:3-5)パウロは様々な困難に出会う中で、神の力を受けて耐え忍んだのです。神様の力によって、パウロは神様の愛に留まり続けたのでした。これが、パウロの自己推薦となる言葉でした。
5: 左右の手に持つ義の武器 無一物のようで、すべてを所有している
パウロは8節から10節でそれぞれ対立した組み合わせをもって、自分が神様に仕える者であることを語っていきます。「右」と「左」はギリシア語では「幸運」と「不運」を意味する言葉とされていました。「栄誉」があり、「辱め」がある。「悪評」があり「好評」がある。これらは世間のパウロに対する評価に対して、神様の評価が語られているのです。
パウロは、世間から見れば、「人を欺き」「人に知られず」「死にかかり」「罰せられ」「悲しみ」「物乞いし」「無一物」のような者たちであった。しかし、その姿は、神様からすれば「誠実」であり、「よく知られ」、「生きており」「殺されておらず」「常に喜び」「多くの人を富ませ」「すべてのものを所有している」という姿だったのです。
私たちは、世間の評価ではなく、神様の評価にとってどのように映っているのかという基準をもっていたいと思います。わたしたちが神様の力を得て、神様に従い生きること。それは、自分のためではなく、他者のために生きることなのです。
私たちは、この世の価値観、自分を一番にするのではなく、神様の価値観、隣人を愛するという生き方をしていきたいと思います。(笠井元)