モーセの十戒からのメッセージも第八番目の戒めまで進みました。第八戒は「あなたは 盗んではならない」と命じています。8月は広島と長崎の被爆と悲惨な戦争を心に刻む月です。その中で「あなたは盗むはずはない」という戒めを聞き取りたいと思います。
1.「ガーナブ」(盗み)の元々の意味:ここで用いられている「盗む」という言葉は、人間を盗むこと、つまり、誘拐することを禁じたものらしいのです。(例えば、創世記40:15、申命記24:7参照)一年たらずでしたが、米国では、離婚して親権を奪われた親の片方が子どもを誘拐することがかなりあるそうです。ものを盗むことは隣人の生命を脅かすし、誘拐することは、その背後に物を盗むという動機を持っているものです。第八戒は、人を中心にして物にまで広がる盗みが問題になっています。
2.「足ること」を学ぶ:盗みには目に見える窃盗と法的には盗みとはいえない盗みがあるのでしょう。松見家の家訓は、箴言30:8-9「むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り/主など何者か、というおそれがあります。貧しければ盗みを働き/わたしの神の名を汚しかねません。」です。経済的に恵まれないとはいえ、さもしさに捉われないよう、足ることを学ぶべきでしょう。
3.主なる神は私たちを養って下さる:「あなたがたは盗むはずがない」と言われているのですから、その前提に、「神は豊かに与え、私たち、そして、皆さんを養って下さる」ということが戒めの裏側にあるのです。(参照マタイ6:33)。主が備えてくださることに信頼する時、そのように愛されているのだから「盗む必要はない」と呼び掛けられている祝福を感謝しましょう。
4.盗みに関する今日の社会の問題:貧負の格差は、貧しいものが掠めとられ、金を持つ者が益々豊かになっていくという「盗みのシステム」を意味しているのかも知れません。1270兆円の財政赤字は若い世代からの年老いた世代の盗みにならないと良いのですが…。あるいは、ジェンダーギャップの問題は、女性からの男性による盗みのようなものかも知れません。目を周辺諸国に向ければ、日本社会は隣国、特に韓半島、そして、中国、東南アジア諸国から富を奪ってこなかったでしょうか。
内村鑑三は、西欧文明は恐ろしく強欲(greed)であるが、キリスト教という「毒消し」によって何とか成り立っているといいました。しかし、最近ではキリスト教信仰が「毒消し」の働きをしなくなっているのかも知れません。私たちは盗んではいないかと問われていると同時に盗まれてはいないかと自問することも課題でしょう。主イエスは、「あなたの宝のある所には心もある」「目はからだのあかりである」(マタイ6:22-23)と言われます。もし私たちが礼拝すべき方を礼拝せず、見るべき方を見ていないとすれば、その暗さはどんなでしょうか。「あなたは盗んではならない」という戒めは、私たちを自由にして下さった主イエスを見るようにとの招きの言葉です。(松見俊)