1: イエスの言葉を聞きに集まった群衆
イエス様は神の国、福音を宣べ伝えていました。群衆はイエス様の語る、神の国、その福音の御言葉を聞きに来ていたのでしょう。その人々にイエス様は【聞く耳のある者は聞きなさい】(8)、【どう聞くべきかに注意しなさい】(18)と言われました。これは福音を聞いてどのように生きるかを語られているのです。イエス様は、この言葉を私たちにも語られているのです。
2: 4つの土壌
イエス様は種が蒔かれた4つの場所について語られます。イエス様はこのたとえ話から、神様の御言葉を聞くこと、そしてその言葉を聞いて、どのように生きるかを教えているのです。
一つ目は道端です。二つ目は石地です。三つ目は茨の中です。茨の中に落ちた種は、根をはり、芽を出し、育ったのです。決して悪い土壌ではなかったのでしょう。しかし、その周りに茨も一緒に伸びていたのです。この心は、神様の御言葉を受け入れ、その御言葉を育てていくだけの用意が出来ていた。しかし、私たちの心で言えば、富や快楽も受け入れ、育てていく心となっていたということです。そして四つ目は、良い土地です。ここに蒔かれた種は多くの実を結んだのです。
3: 待っていてくださる神様
このたとえ話には難しい問題があります。それは、種とされる神の御言葉が、私たちの心の状態によって、育ったり、育たなかったりするのか。むしろ、神様の御言葉が、私たちを変えてくださるのではないかということです。
神様の御言葉にどれほどの力があったとしても、私たち人間の心が開かれない限り、その御言葉は実を結ぶことはできないのです。神様は人間に自由を与えられたのです。私たちには、神様の愛を喜ぶ心もあれば、神様の愛を拒む心もあるのです。神様は、自らの御言葉を拒む者をもまた受け入れられているのです。神様は私たちの心が、少しずつ耕され、自らの言葉を喜んで受け入れる時を待っていてくださるのです。
4: 応答した弟子たち
弟子たちはイエス様の言葉に応答したのです。ただ、その弟子たちは「イエス様、これはどういう意味ですか。私たちにはわかりません」と応答したのです。私たちも神様の愛に応答しましょう。神様の御言葉を聞くことは、ただ聞くだけではなく、その御言葉に応答していくことなのです。
5: 実を結んだ者として
良い土地に落ちた種は、芽を出し、育ち、100倍の実を結んだのです。多くの実を結ぶとき、そこには多くの種が生まれます。私たちは、神様の御言葉を受けた者として、種を蒔き続けていきたいのです。私たちは神様に愛されているという恵みを頂く時、その愛に応答し、種を蒔き続けていきましょう。(笠井元)