1: ともし火をどこに置くのか
ともし火とは神様のみ言葉とされます。私たちが問われているのは、「あなたがたはともし火をどこに置くのですか」ということです。ともし火を、わざわざ器で覆い隠そうとまではしなくても、ともし火を誰にも見えないところに置いていないかということです。ともし火は燭台の上に置くものだと教えているのです。私たちはこの教会が神様の光を輝かす教会となっているのか考えたいと思います。光があり、喜びがあり、入っていきたいと思うような教会となっているでしょうか。
2: 福音はすべての者にあらわにされる
隠されているもの、秘められたものは、神様の恵みのみ言葉であり、このみ言葉、神様の救いの御業は、この世の光となるのです。いずれ神様の愛の完成の時が来る。神様の御国が来る。神様は、だからこそ、私たちに神様のみ言葉というともし火を燭台に置くように教えておられるのです。聖書は、今、私たちが生きるこの世界に必ず喜びで満たされる時が来ることを教えます。(イザヤ書40:28-31)「主に望みをおく人は新たな力を得る」。いずれ愛の完成の時がくるという希望を持ち生かされていきたいと思います。
3: 持っていると思っている人
【持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。】(8:18)私たちは、自分にとって必要な物を持っていると思っているでしょうか。また、何を求め、何を必要としているでしょうか。聖書は、イエス・キリストの十字架の死と復活の命を知り受け取ることを教えます。私たちがこの世で本当に必要としているものは、イエス・キリストが十字架の上で失われ、復活で新しく創造された、この命なのです。
4: み言葉によって変えられる
私たちは、神様のみ言葉をどのように聞いているでしょうか。神様のみ言葉は、私たちの心の奥まで届き、私たちの心を変えてくださいます。人間の心が変えられることは奇跡です。そのために神のみ言葉があるのです。私たちを変えられるのは、神様ただ一人であり、そのみ言葉のみなのです。この世がどれほどの暗闇に覆われているとしても、決して消えることのないともし火、光、神様の愛があるのです。私たちは神様のみ言葉によって、光輝く者とされ、希望を持って歩んでいきましょう。(笠井元)