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2023.9.17 「目はかすまず、活力もうせずに」(全文)  申命記34:5-9

 今日は敬老感謝礼拝ということで、「老いを生きること」について聖書から思い巡らしてみたいと思います。私は今年76歳になり父が生きた年月を超えました。お祝される立場の人間がメッセージを語るのはどうかとは思いますが、皆さんから働きを委託された者としての務めを果たさせていただきたいと思います。選びました聖書箇所はヘブライ語(旧約)聖書申命記34:59であり、偉大な指導者モーセの死の場面を描いているものです。

 

1.モーセの略史

 申命記34:5には「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」と淡々と語られています。その時120歳であったとのことですが、モーセの生涯を簡単にお話しましょう。「モーセ」はひと言で「主の僕」(’ebed- Yahweh)の生涯であったと言われています。モーセは超大国エジプトの奴隷状態からヘブライ人たちを脱出させた民族大移動の偉大な指導者であり、預言者でありました。私の尊敬するドイツの旧約学者マルティ・ノートは、モーセは実際には存在しなかったのではないかと言っております。その極端な主張の背後には「指導者」(Fuehrer)と言われたヒットラーへの反発があったのだと思います。そして安易に「指導者」を求める民衆の愚かさへの批判であったと思います。しかし、極端なノートに仮説に対して、木田献一先生はモーセが実在しなければそもそもイスラエル民族の成立とその信仰、そして、ヘブライ語聖書が成立しなかったと言っています。私は木田先生に同意します。私自身も優秀な指導者であったとか、神学者であったとかではなく、「主の僕」であったと言われたいです。あるいは、神のみ前で執り成し祈る者でありたいと願っています(詩篇10823節参照)。

 モーセは紀元前1200年代に生きた人ですが、ヨセフ時代からナイル河の河口に住んでいたヘブライ人がの人口が増え、強い男性ヘブライ人が育ってエジプトの支配体制に逆らうようになることを恐れて、支配者は、生れてくるヘブライ人の男の子を殺すような命令を出したのでした。しかし、出産に立ち会う助産婦たちは神を恐れて生れ出たモーセを殺すことを躊躇します。そして、パピルスで籠を作り、アスファルトとピッチで防水加工をしてモーセを中にいれてナイル河に流します。その籠はドンブリコ、ドンブリコと河に流されていきます。すると丁度その時、エジプト王ファラオの王女が水浴びをしており、彼女に拾われることになりました。水の中から引き上げたという「マーシャー」から「モーセ」と名づけられました。女性の知恵と力があってイスラエルの救いの歴史が始まります。

モーセは王女の養子として「エジプト人のあらゆる学問・教養」を教えられたのでした。しかし、彼は、他方、乳母として雇われた実の母によって乳を与えられ、育てられ、ヘブライ人の信仰の教育も受けたのです。彼は一方でエジプト人、他方でヘブライ人という二重の文化の狭間で葛藤して生きたのです。ところが、彼が成人した時、その葛藤が爆発しました。同胞のヘブライ人がエジプト人に苦しめられているのを目撃して、そのエジプト人を殺害します。こうなっては、モーセはもはやエジプトの王子として生きることはできず、エジプトから逃亡します。この事件が何歳の時に起こったかは記されていませが、彼が30歳くらいの時でしたでしょうか、モーセの人生の前半部分です。詳しいことは出エジプト記の1~2章を読んでください。今朝はモーセが一方でエジプト人、他方でヘブライ人という、いわば自己同一性=「自分は一体だれであるのか」について揺らいで、傷ついていたことを記憶しておいて下さい。彼はミディアンの地で放浪生活を続け80歳の時にホレブ、シナイ山の山麓で神と出会う訳です。そして、エジプトに戻り、頑固で文句ばかりを言う民を率いて40年の荒野での生活をし、今や120歳となって、死を迎えようとしています。34:1によれば、ネボ山、標高802メートルノピスガの峰に上ったのでした。豊満山が829.6メートルです。モアブは死海の東の地域であり、ナオミにしたがった女性ルツの出身地でした。

 

2.人の一生:一度限りの限定された生

 私たちはこの短い聖書箇所から何を学でしょうか?人は生れ、やがて死んでいきます。これが人間の「運命」です。どのように長寿でも120歳の壁を超えることは難しいでしょう。創世記6:3には「人は肉に過ぎないのだから、…人の一生は120年となった」と言われています。秦三謝子さんは98歳ですかね。我が教会の最長老です。川口雅子さんと小山治子さんは93歳、木村さんは91歳です。120歳まではまだ少し年数があります。或いは詩編90編では、なんとこの詩は神の人モーセの詩として伝承されている詩ですが、「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません」と言われています。昨今では人生「100年時代」などと言われていますが、2023年度の統計では平均寿命は男81.05年、女は87.09年です。いわゆる新型コロナウイルスの影響もあり、2年連続で前年を下回っています。それはともあれ、人は誕生の時から死に至る一度限りのいのちを神から貸し与えられているのであるということが重要です。人はいつから人であるのかは卵子と精子が結合したときから、あるいは受精から14日目の「胚」が出来たときから、いや出産時からと立場や思想によって異なりますが、ユダヤ・キリスト教信仰においては生前の輪廻転生という考えは取りません。そして、永遠の命とは死後永続するいのちというより、神を知ること、神との関係において生き生きと生きることを意味していますので、死で区切られているのです。この誕生から死に至る一度限りの生を生きること、だからこそ、今生きていることをかけがえのないない大切なものとして生きることが重要なことなのです。

 

3.老いを創める:老いへの準備をすること

 話が少し一般的なことになったので、「老い」の問題を取り上げましょう。ポスピス・緩和ケアで有名になったキリスト者の日野原重明さんが、1985年に『老いを創める』という本を出版されました。国立がんセンター長であった石川七郎さんの娘さんたちと同じ教会にいたことがあったので娘さんたちを通して聖路加病院の日野原さんの存在を知っていたのです。私は38歳の時にこの本に出会いました。彼はユダヤ人哲学者・思想家マリティン・ブーバーの言葉を引用しています。「年老いているということは、もし人がはじめるということの真の意味を忘れていなければ、すばらしいことである。」また日野原先生の恩師、今田恵教授の言葉を引用されて、老年期、人生の第4期は「解放された自我への誕生」の時だとも言っています。素敵な言葉です。

先日は福岡から静岡の清水まで往復2200キロのドライブをしてきましたが、「ここから長い下り坂、スピードに注意」とありました。妻と、思わず我々の人生だなと笑ってしまいました。また、旅行中、妻から「あなたは若い頃の面影が全くない」といわれたことをしつこく蒸し返していました。先ほど言いましたが、これからは人生100年時代と言われます。目減りする年金生活、夫婦の片方に死に別れて後の長い単身生活(特に男の場合)、あるいは、高齢者が高齢の親を介護する老老介護、認知症の人が認知症の人を介護する認認介護などの問題、いつからどこの施設に入るかの決断の課題などがあるでしょう。人は少しずつ老いていくわけですが、惰性で長い下り坂を生きるではなく、新しく「老いを創める」という想いで生きることが重要でしょう。それはたぶん、50歳くらいから始める課題ではないかと思います。生活パターンを変えることは歳をとってからは難しく、50歳代から考え、準備することが必要でしょう。敬老感謝の礼拝は実は50歳前後の人たちを対象とした礼拝なのかも知れません。神に信頼し、必要であれば素直に人に助けてもらう生き方を身につけることが必要です。仕事や子育て等から「解放された自分を生きることの誕生」とは何とすてきな言葉でしょうか。

 

4.目はかすまず、活力もうせておらず

 それでは、いよいよ老年のモーセに光を当てましょう。モーセは120歳に至っても、「目はかすまず、活力もうせていなかった」(7節)と言われています。理想的な姿ですね。ここでは生物学的能力のことが言われていますが、これに「耳も遠くならず」を加えたら良いのですが…。まあ眼精疲労、白内障はやがて誰もが経験することでしょう。私は自動車運転免許証書き換えの際に新しい眼鏡を買いますが、後1年はたぶんもたずに度の合った眼鏡を買わねばならないでしょう。まだ若い、乱視も近視も進んでいるなどと言っていますが、ものを見ること、ものの真実を察知する心の目はかすまないようにしなくてはならないと思っています。また、人は、大気中の酸素を摂取し、炭酸ガスを吐き出す、食物を摂取し、排泄するわけですからまさに生かされている「管」のような存在ではないでしょうか?活力、気力はまさに神に祈り、日々いのちを頂くことによって保たれていくのでしょう。いつでも可能な生き甲斐を捜し、できれば少しでも他者のために、他者と共に生きたいものです。社会的地位がどうのこうの、財産がいくらあるかどうか以上に、「目はかすまず、活力も失せない」生活をしたいものです。少なくとも真実を見る目と困難の中でも生き抜く気力を失いたくないものです。

 

5.預言者は約束の地に入れず:歴史の皮肉

 ここで、「歴史の皮肉」とでもいうことに触れたいと思います。この表現は、TK生として韓国民主化闘争を支援し、東京女子大学で政治学の教鞭を取られていた池明観先生の言葉から由来しています。ヘブライ人をエジプトから脱出させ、苦節40年イスラエルの民を約束の地に導いたモーセ自身は約束の地に入ることはできないのでした。これが政治的、社会的、宗教的指導者の運命であり、歴史の皮肉であるというのです。革命家は革命の結果を見ることができないというようなことであったと記憶しています。

「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。」この言葉は一方で、約束の地パレスチナに入ることができなかったモーセの無念というか、現実の厳しさを語っています。しかし、他方、「主」なる神が主語となっていて、人々にモーセの遺体を晒したり、栄誉を顕彰して大きな豪華な墓を作ったりはさせなかったというのです。神ご自身がモーセを葬られたことは、主イエスの復活の出来事と似ています。葬られた墓には十字架で殺されたイエスの遺体が見つからなかったように、神が彼を隠されたことが描かれています。象も自分の遺体を見せないように、死期を悟り群れから去っていくと聞いたことがありますが、主なる神が彼を隠されました。エジプトのようにピラミッドのようなモニュメントや銅像なども一切ありません。

モーセは彼の使命を果たせたのでしょうか?フランツ・シューベルトの作曲で「未完成交響曲」というものがあります。私たちの仕事や使命も多分未完成で終わるのかも知れません。「ミッション インポッシブル」(不可能な使命)「ミッション インコンプリート」(完成できない使命)ではないですが、「完結していない処に良さがあるとも言えるのでしょうか。

しかし、モーセには後継者ヨシュアが与えられて、神の働き、イスラエルの救いの歴史が続いていくのです。個体としての自分がなくなりますが、後継者たちが生れていきます。「イスラエルの人々はモアブの平野で30日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服して、その期間は終わった。」一見切り替えの早い、薄情に聞こえる表現の中に、モーセからヨシュアへの世代交代が希望として描かれているのではないでしょうか。東福岡教会、そして皆さん一人一人は何を残し、どのような後継者たちに祈りと使命を託すでしょうか。皆さんにはヨシュアが与えられるに違いありません。

 

6.もっと良い世界を与えられて:ヘブライ1139

 

 確かにモーセ自身は約束の地を受け継ぐことはできませんでした。しかし、新約聖書のヘブライ人への手紙11:39に目を向けてみましょう。「ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも約束されたものを手に入れませんでした。神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったのです。」少しかたちを変えて読んでみます。この個所では旧約聖書、ヘブライ語聖書の伝統に生きた人々は約束に行き、新約聖書に生きる私たちはその約束の成就を手にしていると言っています。私は以下のように読みたいと思います。すなわち、モーセは約束の地に入ることはできなかったけれど、「更に勝った神の世界に移されたのである。」と。主なる神ご自身が老いるモーセ、死に逝くモーセを隠して、だれもその墓を知らないという恵みと、後継者を残したこと、そして、この世界では成就できない神の世界へとモーセが移されたことを恵みの言葉として、福音として聞き取りたいと思います。皆さん、老いを創めましょう! 皆さん、もっと良い世界を夢見ながら、解放された自分を生きましょう!(松見俊)