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2023.9.17 「目はかすまず、活力もうせずに」(要約)  申命記34:5-9

敬老感謝礼拝ということで、「老いを生きること」について聖書から思い巡らしてみたいと思います。

1.モーセの略史

 申命記34:5には「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」と淡々と語られています。その時120歳であったとのことですが、モーセの生涯を簡単にお話します。詳しいことは出エジプト記1~2章を読んでください。

2.人の一生:一度限りの限定された生

 人は生れ、やがて死んでいきます。これが人間の「運命」(宿命ではなく)です。どのように長寿でも120歳の壁を超えることは難しいでしょう。創世記6:3には「人の一生は120年となった」と言われ、詩編90編では、「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません」と言われています。この誕生から死に至る一度限りの生を生きること、だからこそ、今生きていることをかけがえのないない大切なものとして生きることが重要なことなのです。

 3.老いを創める:老いへの準備をすること

 ポスピス・緩和ケアで有名になったキリスト者の日野原重明さんの『老いを創める』という本について。「年老いているということは、もし人がはじめるということの真の意味を忘れていなければ、すばらしいことである。」また日野原先生の恩師、今田恵教授の言葉を引用されて、老年期、人生の第4期は「解放された自我への誕生」の時だとも言っています。

4.目はかすまず、活力もうせておらず

 モーセは120歳に至っても、「目はかすまず、活力もうせていなかった」(7節)と言われています。理想的な姿です。せめて、ものを見ること、ものの真実を察知する心の目はかすまないように、困難の中でも生き抜く気力を失いたくないものです。

 5.預言者は約束の地に入れず:歴史の皮肉

 「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。」この言葉は一方で、約束の地パレスチナに入ることができなかった現実の厳しさを語り、他方、「主」なる神が主語となっていて、人々にモーセの遺体を晒したり、栄誉を顕彰して大きな豪華な墓を作ったりはさせなかったというのです。神ご自身がモーセを葬られたことは、主イエスの復活の出来事と似ています。フランツ・シューベルトに「未完成交響曲」がありますが、私たちの仕事や使命も多分未完成で終わるのかも知れません。しかし、モーセには後継者ヨシュアが与えられて、神の働き、イスラエルの救いの歴史が続いていくのです。

 6.もっと良い世界を与えられて

 

 「ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも約束されたものを手に入れませんでした。神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったのです。」(松見俊)