福音書全体の「まえがき」が1:1-27まであり、19節から本来の福音書が始まります。これまでヘブライ語聖書の「十戒」を取り上げてきたので、新約聖書を取り上げました。また、笠井牧師が就任してマルコによる福音書、マタイによる福音書、そしてルカによる福音書を取り上げているので私はあえてこれからヨハネによる福音書を取り上げることにした。
福音書は「さて、ヨハネの証しはこうである」から始めています。19節から28節は結論的に言えば「イエス・キリストの到来の道備え、整える働き人としてヨハネの物語をイエス・キリストの出来事の前に置いている。ヨハネがおこなった「証」(marturia)ということについて、また、「証人」ということについては、重要な内容を持つので何回か後のメッセージでお伝えすることにします。現在はまたまたカルトが問題にされています。輸血拒否でも話題になってきた「エホバの証人」の子どもたちへ虐待・乱用が問題になっています。私たちキリスト者は「エホバの証人」ではなく、「イエス・キリストの証人」であることだけを指摘しておきます。
18節は、端的に「これはヨハネの証である」と語ります。
1.「ヨハネ」について
ヨハネとは「ジョハナーン」というベブライ人の名をギリシヤ・ローマ語化したものですが、「主なる神Yahawehが授けた者」という意味です。英語ではジョン(John)、ドイツ語では「ヨハン」(Johann)あるいは「ヨナネス」(Johannes)です。ラテン語系では「ヤン」(Jan)です。旧約聖書ではあまり使われない名で、クリスマス物語では、ザカイヤの親族たちが生れた子に父にちなんで「ザカリア」にしようと言い、ヨハネにすると言い張るザカリアに「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいません」(ルカ1:61)と言われています。ザカリアは、この子は主なる神が恵みと特別な使命をお与えになった、授かった子「ヨハネ」にすると言って妥協はしませんでした。
ヨハネについてはイエスの12使徒のヨハネとバプテスマのヨハネとこの福音書を書いたヨハネの三人を区別しなければなりません。ここではバプテスマのヨハネについて語られています。この福音書は教会の伝統では12使徒のヨハネが書いたことになっていますが、現在、学問的には12使徒の1人のヨハネがこの福音書を書いたのではないと考えられています。この証拠として示されるのは、イエスの弟子たちがユダヤ教の会堂から追放されたことが、9:22では、「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシア=キリストであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。」と言われており、12:42-43では「議員の中にもイエスを信じる者は多かった。ただ、会堂から追放されるのを恐れ、ファリサイ派の人々をはばかって公に言い表さなかった」とあり、このような状況はパウロの伝道旅行にもいまだ登場していないからです。そうかと言ってヨハネによる福音書にはイエスを巡るかなり古い資料も登場しており、12使徒の1人であったヨハネも長生きであってエフェソの郊外でイエスの母マリアと一緒に過ごしていたという伝説もありますので、ヨハネの信仰を受け継ぐ者がこの福音書を完成させた私は考えています。
2.ヨハネのバプテスマ運動
26節~28節によるとヨハネはヨルダン川の向こう側、つまり、ヨルダン川の東岸にあるベタニアという処で「水の浸礼」を授けていたようです。この「ベタニア」とはマルタとマリアが住んでいたエルサレムの近く(約3キロ)にある「ベタニア」ではありません。イエス様がヨハネの弟子としてバプテスマを受けられた場所です。
当時のバプテスマ運動について簡単に説明します。まず、ユダヤ人は生まれながらの神の選びの民であり「割礼」という儀式を受けておりましたので、全身を水に浸すバプテスマを行いません。ただ、清めのためにときに、水浴びはしていたようです。ユダヤ教の中で、ファリサイ派は信仰熱心でありまして、異教徒が回心してユダヤ教徒になりたい、唯一の神を信じると言った場合はバプテスマをしていたようです。しかし、たぶん、全身を水に沈める仕方ではなかったようです。新約聖書には描かれておりませんが、いわゆる「死海文書」(死海のほとりのクムラン洞窟でヘブライ語聖書他多くの巻物が発見された)にはエッセネ派という集団があり、ここではこの世の穢れを洗い流す全身沐浴が行われていたようです。世界の終末が到来するという危機感に対応するこのような動きに対して、バプテスマのヨハネはユダヤ人もまた回心してバプテスマ(浸礼)を受けるべきだと主張したのです。イエス様は29節以下に語られているように、若い頃この運動に参加され、途中からペトロやアンデレらを連れて分派したようです。共観福音書とは少し違っています。私たち人間の問題性は洗って汚れを取るように取ってすませることができる程度のものなのか、あるいは、一度古い自分に死んで、葬られ、新しく引きあげられて生まれ直さねばならないものか、これは現代でも考えさせられるテーマではないでしょうか?また、大方の日本人の考えるようにそんなこと考えてもいない、だた、この世で豊かに、金持ちになれば良いあるいは「おちゃらけ」で愉快に、楽しく日々を過ごせばよいと考えるのでしょうか?まさに、一人一人が問われている重大な問題なのです。まあ、テレビを観たり、新聞を読んでいますと日本人は死んだらみな「天国」に行くと考えているのですから申し訳ないですが、このような問いを考えもしない、かなり浅薄な文化であり、宗教観であるとも言えるでしょう。日本人はカルト宗教者からすると世界で一番騙され易い人たちのようです。基本になる、世界観を形成するような信仰が存在しないからなのでしょう。
3.ヨハネとは誰であり、何であるのか?
さて以上のような状況でしたので、そして、共観福音書によれば、「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼(ヨハネ)からバプテスマを受けた」(マルコ1:5)とあり、危機を感じたユダヤ教の当局者たちはエルサレムから使者を派遣して尋ねさせたのです。19節によれば、死者を派遣したのは、祭司とその補助者であるレビ人、24節によればファリサイ派の人々です。神の選びの民であるユダヤ人にバプテスマをやるとは何事だ!という訳です。「あなたはいったい誰?」「あなたは何をしているのか?」という根本的な問いです。
4.ヨハネの明確な告白
ヨハネは「あなたはどなたですか」という問いに隠すことなく、黙することなく「わたしはメシア=キリストではないと」 と告白します。また、「では何ですか?あなたは旧約聖書の大予言者エリヤの再来ですか?」」という問いに対してまた「隠さずに」「否まずに」明白に「違う」と告白します。第三に、ではあなたはもうひとりの預言者モーセの再来ですか?」という問いにも「隠さず、拒まず」「そうではない」と応えます。さあ、「いったい私は誰でしょう?さて私は何でしょう」などを問いを逸らしたり、口ごもって語らないのではなく、きっぱりと三度「否」を語るのです。この点でヨハネはすっきりしています。
1960年代後半から、「自分は再臨のキリストである」と嘯いた統一協会の文鮮明、自分は神である、キリストである」と喚いた「幸福の科学」のカルトのおっさん、どこかで、お安く「神ってる」日本人たちの中で、私たちは何を、誰を公に告白するのでしょうか? 「ただ、イエス・キリストに信頼する一人の人間に過ぎないと!」徹底して神、キリストの背後に退くヨハネの偉大さにならうことができるでしょうか?!ヨハネの偉大さは徹底的にキリスト・キリストの背後に退く処にあります。「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」(26節)。
5.神のみ子を指さす者 「指」としてのヨハネと私たち
レオナルド・ダ・ビンチの「バプテスマのヨハネ」という絵画があります。日本人はパリのルーブル美術館で「モナリザ」の前にたむろしています。しかし、確かその左横に「バプテスマのヨハネ」が描かれ、モナリザの微笑にも勝るとも劣らない不思議な微笑で右手を上げ、左手に長い杖のような十字架を持っています。本当はこの名作をスクリーンに写せるとよいのですが!人差し指が十字架そして天に向かっています。同じレオナルドの絵画でやはりルーブル美術館にある「岩窟のマドンナ」においても幼子イエスを指さす幼きヨハネが描かれています。ヨハネはすっきりとしています。彼はキリストを指す「指」に徹しています。わたしたちは、彼ほど「指」に徹することができるでしょうか? ただただイエス・キリストを指し示す指になるでしょうか?この世の権力者、政治家、財界人、最近よく表に登場する防衛省関係者を大切な人たちとして指さすでしょうか!あるいは、指であることを忘れて、池の水に移る自分の美しさに見とれて「水仙」になってしまったという「ナルキソス」つまり、ナルシストのように自分を指さすのでしょうか?皆さんは赤岩栄という牧師を知っているでしょうか。1903年生まれで1966年に死んだ人ですから知らない方が多いでしょう。彼は日本基督教団の牧師でしたが、共産党入党宣言をして「赤の牧師」と呼ばれた人でした。共産党では一部の人が先の戦争中投獄されていました。大半のキリスト者たちは天皇制軍国主義に靡きました。それを反省して赤岩栄は共産党に入党したわけです。牢獄の中で椎名麟三は仲間の共産党員が天皇制軍国主義に転向する姿を見て、絶望し、差し入れられた聖書を読んでキリスト者となり、牧師で共産党に入党した赤岩栄によって洗礼を授けられたのです。そして、戦後赤岩と椎名が共に「指」という雑誌を刊行することになったのです。私は作家の椎名鱗造が好きですが、元西南大学第17代理事長の斎藤末弘さんは椎名鱗三の研究者で私のことを「椎名鱗三の松見君か」と言っていました。この世界の権力を徹底して批判し、自由と平等にいきたイエスを指し示すとした「指」は赤岩栄、椎名鱗三、斎藤末弘、そして、イエスを指す指たらんとする松見と受け継がれているわけです。
6.キリストの到来を整える者
では、ヨハネは自分を誰というのでしょうか?彼は預言者イザヤ40:3に描かれている声である。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」ただ指さすだじぇでなく、荒れ野で叫ぶ「声」である、キリストの到来を準備し、整える者であると言います。本来、彼はイエス・キリストの先輩、イエス様に生れ、イエス様の前に活動し、イエスもその弟子であった師匠であるにもかかわらず、「後から来られる方」を指し示す指であり、証しする「声」であると言います。わたしたち一人一人は、このように、ヨハネのように「指」として「声」として生きたいものです。
イエス・キリストはすでに到来されました。では、降誕節は何を、誰れの来臨を待つのでしょうか? すでに来て下さったキリストが完全な勝利者として、真の平和の君として到来することを待つのです。わたしたちはあくまで終末一歩手前に生きる者として、終末的な熱狂主義でなく、希望を失い、うなだれる者でもなく、待つ者として生きましょう。応答賛美歌として、有名なフィリップ・ニコライの作詞作曲の新生讃美歌257を歌いましょう。真に平和が来ますように、キリストの二度目の来臨を「目覚めて」待ちましょう。(松見俊)