1: キリストの再臨
ユダヤの人々は救い主を待ち続けていました。昔から、何年も、何百年も、ずっとずっと待ち続けていました。クリスマスは、その救い主イエス・キリストが来られた時です。今日の箇所は、イエス・キリストの再臨の時を待っている人々への言葉となります。当時の教会では再臨が遅れる中、不安が生まれ、また逆にイエス・キリストが来られることに対する緊張感が失われ始めていたのです。そのような教会に聖書は主イエスは遅くなっているのではなく、神様が忍耐しておられるのだと教えているのです。
2: 仕える者となられた
イエス様は救い主として確かに生まれました。しかし、その主なる方は、小さな者として生まれました。現在、この世界は混沌とした状態です。人が人を傷つけ、殺し合う。そのような世界に、イエス様は来られました。しかも、力をもって人々を押さえつけるのではなく、ただ人々に仕えられたのです。イエス様は、人間の醜さを受け止められました。痛み、苦しみ、傷つきながら、神の子イエス・キリストは、この混沌とした世界を愛されたのです。
3: イエス・キリストに従う準備の時
神様の一日は千年のようで、千年は一日のようなのです。つまり、時間が神様を縛ることはないということです。神様は、時間を越えた存在なのです。今、神様は、私たちの救いのために、イエス・キリストを送ってくださっているのです。アドベントの時は、私たちが、イエス・キリストを自らの主と受け入れる準備の時でもあります。「イエスこそが、主。私はこの方に従って生きていく」と決心するための準備の時です。
4: 救い主が来られる「幻」を見つつ
アドベントの時、私たちは、再臨を覚えたいと思います。イエス・キリストは、必ず、もう一度来られます。神の国の到来、神様の愛の完成の時が必ず来るのです。混沌の世界が終わり、神様の愛の世界の始まりの時、完成の時が来るのです。イエス・キリストの再臨は、傷つけあう者が、お互いのことを想いやる者と変えられる時。殺し合う者が、お互いの命のために生きる時。本当の命、愛の始まりの時なのです。
神様は、「一人も滅びないで、皆が悔い改めるように…」と忍耐されています。私たちは、イエス・キリストが来られるという「幻」を見つつ、キリストの愛を広げていく者として生きてきたいと思います。イエス様は必ず来られます。(笠井元)