元日は石川県能登震災、そして、2日の羽田での航空機と海上保安庁の飛行機との衝突事故という痛ましい事故で新年が始まりました。そのような心が潰れそうな中で、犠牲者の方々を心に留めながら聖書の世界に赴きましょう。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。この方こそ「神の子」であるという希望と喜びに耳を傾けましょう。
先回の説教では、バプテスマのヨハネと当時のバプテスマ運動に触れましたが、今朝はヨハネが証言した内容について、つまり、イエス・キリストについて考えます。先に、ヨハネはイエス様を「知らない方」、わたしの後から来られる方」と語り「わたしはその履物のひもを解く資格もない」(1:26~27)と言いましたが、「そのお方が来られた」と証言しています。「わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからであるとわたしが言ったのは、この方のことである。」(36節)そのような文脈の中で登場する「世の罪(単数形hamartia)を取り除く神の小羊」を中心にしてヨハネの証言の内容を味わってみましょう。
1.「見よ」:目撃証人としてのヨハネ
「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。」その翌日とは28節までに書かれていたヨハネとヨハネの言葉、「来るべき方」について話をした翌日のことです。ヨハネは「見て言った」とありますが、動詞はより臨場感のある現在形で「見る」(blepei、blepō))となっています。この「見た」は、32節にも「霊」をわたしは「見た」(tetheamai, 完了形、theaomai)そして「言う」となっています。「見る・見た」という表現は、33節でも霊が降って、留まるのを「見たら」(idēs, 過去形,従属節、horaō)と言い、34節でも「わたしはそれを見た」(heōraka, 完了形 horaō)と語っています。それぞれ異なった言葉が用いられてはいますが、「証人」は見たままを割引せず、片寄り見ず、人に遠慮せず、そのまま伝えるのです。たとえそれが主観的ではあっても、ヨハネが体験的に「見たこと」つまり、目撃証言はそれなりの力を持っています。私たちはイエスを直接肉眼で見てはいません。パウロも生前のイエスに会ったことはありません。そこで、私たちは、ペテロと10人の使徒たち、そして、バプテスマのヨハネの証言を信じる他に主イエスに近づく手立てはないのです。バプテスマのヨハネは誰が何と言おうが、目撃証人であり、イエスを「見た」と言い、それを私たちに証言して、「見よ、この方を」と叫び、指さします。それを信じるかどうかは私たち一人一人にかかっています。
2.「到来する主イエス」
ここでは「イエス」(29節)という名が初めて登場し、明確に語られ、ヨハネが予告していたお方はこの方であると言われています。定められた場所に、定められた日に、イエス様の方からヨハネの処に「来られた」と言っています。ヨハネは、こちらから出向いていって自分でイエスを発見したとは言わずに、主イエスの方から近づいて来られたのを見ると言います。ヘブライ語(旧約)聖書の信仰においても、神はいつもこちらに、私たちの世界に「到来する神」です。人間が何か努力をし、修行をして神に到達するのではなく、神の側らか私たちの処に到来されるのです。そのことを示すために、でしょうか、イエスは自ら来られたのです。マルコ、マタイ、ルカの福音書を「共観福音書」と言いますが、共観福音書ではイエスはヨハネによって水のバプテスマを授けられたと言っています。たぶんそれが歴史的事実であると推定されますが、ヨハネによる福音書はそれに触れないというか、興味を持っていません。このことに加えて、これは共観福音書が記録していないことですが、イエス自身もバプテスマを授けておられたことを、ヨハネ3:22-23が記録しています。「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに滞在し、バプテスマを授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンでバプテスマを授けていた。そこは水が豊かであったからである。」どうもイエスの方が、人気が出てしまったようです。ヨハネは荒野において到来を持つ姿勢でしたが、イエスは人々の間を巡回して民衆たちに喜びのメッセージを語る「到来する」お方であったからでしょうか。ちなみに、昨日1月6日はキリスト教カレンダーで「公現日」(epiphany)でした。クリスマスは6日まで続くのですが、公現日は、東方教会ではイエス様が自らを公にして、バプテスマを受けられた日として、西方教会では占星術の博士たちがイエスを礼拝した日として祝われています。主はこの世界に到来されました。
3.聖霊が鳩のように降ってイエスに
ヨハネが主イエスの到来に出会ったことに加えて、ヨハネは霊、神の息吹、神のいのちがイエスの上に鳩のように降り、留まったのを見た、と証言します。それによって来るべき方を知らなかったヨハネはこの方が、自分よりまさる、来るべきお方であると知ったと証言します。これはある人と出会った、見たということより以上の、いわば、「直観」のような知り方かもしれませんが、この経験もヨハネによる福音書では「見た」経験とされています。旧約(ヘブライ語)聖書にも、特定の人に、特定のときに霊が降り、預言や力ある業が与えられたり、芸術の才能のように日常的賜物について霊の働きが言及されています。いわゆるインスピレーションです。霊は、その人に「留まる」という表現もヘブライ語聖書にないことはないのですが、この今日の場面では、霊がこの方の上に降り、留まったのです。それが、霊は聖霊として主イエスの霊であり、さらに、このイエスの名を根拠にしてバプテスマを授ける、「聖霊のバプテスマ」の根拠となっているのです。バプテスマのヨハネのバプテスマやキリスト教会による「水のバプテスマ」は、聖霊のバプテスマ、つまり、イエスを主と信じることへと導かれたこと、新しく生れる力を与えてくれるバプテスマを受けたことへの、人間側の信仰による応答行為であり、僕として生きる服従の最初の行為なのです。水のバプテスマを受けるかどうかは、むろん、個々人の決断のことです。バプテスマのヨハネはイエスの上に霊が鳩のように降り、留まるのを見ました。私たちが霊を支配することはできませんが、こうして、霊は聖霊として、主イエスの霊として、理解されるようになりました。いわゆる「御祓い」や「霊能者らの惑わす霊」とは区別されて「聖霊」として、清明な霊として、イエスと私たちに働く方として理解されるのです。
4.世の罪を取り除く神の小羊(神の子)
ヨハネ1:24によればバプテスマのヨハネは「この方こそ神の子である」と証言しています。ヨハネ福音書1:1~18の長い「前書き」でも「父の独り子」「父のふところにいる独り子」であると言われています。イエスが「神の子」であるという意味内容については別の機会に触れることにして、今朝は「世の罪を取り除く神の小羊」という言葉の内容に焦点を当てましょう。ヨハネによる福音書はイエスのことを、エジプトの奴隷状態から脱出する際に、エジプトに住む長子たちを襲った死の災いから、イスラエル人の長子たちを護ったという小羊であると言います。この伝承によると、家の鴨居に小羊の血を塗った家を災いが「過ぎ越し」されたのでした。この出来事に根ざして、ヨハネは主イエスを屠られた小羊として描いています。興味深いことに、イエスが殺されたのは、共観福音書では、過ぎ越しの祭りの前日であると言い、ヨハネの福音書によれば、小羊が屠られる過ぎ越しの祭りの日であったと言っています。それを根拠にして、月の満ち欠けのリズムを勘案して、紀元30年のことであったとされています。それはともかくとして、ヨハネはイエスを「罪のために身代わりになった小羊であること」を強調していることは事実です。
5.イザヤ53章の「僕の歌」の影響:犠牲・賠償
「世の罪を取り除く神の小羊」という表現は、イザヤ53:7を思い起こさせます。少し長いですが、52:13~53:12を朗読します。この僕の歌は、僕は「多くの痛みを負い、病を知っている」「わたしたちのため」「わたしたちの咎のため」「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」「わたしの民の背きのゆえに、神の手に掛り、殺された」「彼は自らを償いの献げ物とした」(10節 ‘āšām過ちという意味から、「だれかがそれによって過ちを損害賠償すること」(民数記5;7,8)「罪過のための犠牲」(Iサムエル6:3)と言われ、「犠牲・賠償」という考えが歌われています。さらに「わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った」「多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。」とあります。「苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を刈る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。」の叙述は犠牲の小羊を示しています。
ここで罪とはなにか? その罪を取り除くとはどういうことなのか?を考えねばならないでしょう。いろいろな説明の仕方があるでしょう。罪とは関係なく愛によって単にだれかの「犠牲」になるということもあるでしょう。三浦綾子さんの『塩狩峠』の自己犠牲の物語があります。史実に基づいた小説ですが峠に近づいた列車の連結器が壊れ、列車が急こう配を滑り落ちようとしたとき、ある男性が車輪に身を投げて列車を止めたということです。これは直接、罪過に関連してはいない出来事ですが(むろん、連結器の不具合を確認したかった鉄道員の責任はあるでしょうが)、罪過と関連したこととして、バプテストの松本蟻ケ崎教会の高齢男性の話を聞いたことがあります。アジア太平洋戦争の際、南方の島で餓死寸前、その人は人肉を食べてしまったそうです。それが「罪」と言えるかどうかは分かりませんが、そのことのトラウマから癒されることはないのでしょう。しかし、主の晩餐式において、イエス様が「これは私の体である。取りて、食え」と言われていることでかろうじて自分を受け入れているそうです。ここで「取り除く」(eirien)は実際に「取り消し」「除去すること」を意味しています。
人はどこかで生き物を殺して食べて生活しているわけです。過ぎ越し祭は元来遊牧民族の儀式であったそうですが、自分たちが育てた可愛い小羊を殺すわけです。当時の異教のモレク礼拝では愛する自分の長子を殺して神に捧げていたとも言われます。その身代わりとして羊を捧げるようになったという「合理化・人間尊重化」が生れたのですが、贖罪への心の「うずき」というものは人間のどこか深い心のひだにあるのでしょう。こうして、羊を捧げることが主なる神によってエジプト帝国の抑圧から脱出、解放されたという歴史的出来事と結びつき、さらに、新約聖書の時代には、イエスによる十字架の死という出来事に結び付けられているわけです。「贖罪」については、「犠牲の小羊説」に加えて、「賠償説」という考えもあります。戦争で捕虜になったり、借金のカタで奴隷になった人が「身代金」(マルコ10:45)を払って解放されるというイメージです。捕虜交換や人質解放は今日でもニュースで耳にします。あるいは、欧州の中世や宗教改革期の「刑罰代償説」もその時代には説得力があったのでしょう。
ここで、注意すべきことは、「代理」という考え方が、するりと責任を逃れてしまい、責任を他者に転嫁して安易な生き方に流れる危険です。「ああ良かった、あとはどうでも良い、ハッピー、ハッピー」というのではなく、それは、まさに、わたしたちの「ただなか」に立っておられ(26節 mesos hymōn hestēken )「代表して」痛みや病を背負って下さった方、主イエスがおられるということです。興味深いことは、ここではパウロの場合と同じように「罪」は単数形で語られていることです。一つ一つの過ちではなく、もっと深い人間の根本に関することです。英語では「贖罪」のことをAtonement と言いますが、これは分断されていたものが At one 「一つとなること」を意味しています。わたしたちはこの主イエス、神の小羊によって神と人、人と人とが一つとされるのです。罪とは、逆に神と一つになれずに、分断された生き方を意味しています。「罪」とは、単なる道徳や倫理違反ではなく、自分が赦せない、あの人が赦せない、神が赦せない、そのような「分断」をもたらす生き方であり、イエスはそのような分断を乗り越えるために、来られました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。世と自分たちの問題にだけ目を留めるのではなく、この方こそ「神の子」であるという希望と喜びから生活しましょう。(松見俊)