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2024.2.28 「日々励まし合い、安息を頂く」 ヘブライ人への手紙3:7-19

1:  神の声を聞くように

 7~11節は、詩編95編7~11節からの引用となります。【今日、あなたたちが神の声を聞くなら、荒れ野で試練を受けたころ、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない。】(ヘブライ3:7-8)3章15節、4章7節においても同じような言葉が語られます。

詩編95編では、【主はわたしたちの神、わたしたちは主の民主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。「あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように心を頑にしてはならない。」】(詩編95:7-8)と語られ、詩編では「主の声」とされている言葉が、ヘブライ人書では「神の声」とされています。

詩編の【今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。】という言葉は原文では【どうか、君たちは今日その御声を聞くように】となっています。「神の声を聞くなら」は「神の声を聞くように」というお勧めの言葉となります。

 

2:  注意して小さい者の言葉を聞く

主イエス・キリストの言葉を聞く者として、【心をかたくなにしてはならない。】(ヘブライ3:8)と教えます。「心を頑なにする」とは「聞くことを拒否する」、「注意を払わない」という意味もあります。私たちはイエス様の言葉を注意して聞こうとしているでしょうか。

 マタイではイエス様はこのような言葉を語られました。【『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』…『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』】(マタイ25:40,45

 私たちは、聖書に向き合うだけで本当の意味で、神様の声、イエス様の言葉に向き合っていると言えるのでしょうか。神様は最も小さい者として、私たちの隣に来てくださっているということを覚えておきたいと思います。「神様の声を聞く」とは「最も小さい人の言葉を聞く」という言葉に繋がっていきます。私たちは、小さい者の言葉を注意して聞いているでしょうか。私たちは自分が小さい者として声を上げているでしょうか。

 

3:  不信仰

 イスラエルの民は、エジプトを脱出した後、不平不満を神様にぶつけました。神様は【『彼らはいつも心が迷っており、わたしの道を認めなかった。』】(ヘブライ3:9 -10)と言いました。「心が迷う」という言葉は、「坂道を滑り落ちる姿」を表す言葉となります。イスラエルの人々は、坂道を転がり落ちるように、神様から離れてしまっていたのです。

 12節では、【兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。】(ヘブライ3:12)と言います。ここでは、一人の不信仰が、その群れ全体を不信仰へと導くことの危険性を示しているのです。

 不信仰ということは、一体どういうことでしょうか。私は不信仰の行為の代表としてイスラエルの民が「金の子牛」を礼拝したことを思い起こします。(出エジプト記32章)その中心にいたのはモーセと一緒にエジプトを導いた兄アロンです。イスラエルの民の中で、不安を抱いた誰かが、「このままで大丈夫かな」と言い出したのでしょう。その言葉が、結果、イスラエルの民全体を不安にし、不信仰へと陥ったのです。不安が深まっていく時、人間は必要以上の恐怖に襲われてしまいます。イスラエルの民は、不安の中、恐怖に襲われ、自分たちで安心を手に入れようとしたのでした。ここに不信仰が生まれていったのです。それは神様に信頼するということから離れてしまったということです。

 

4:  日々励まし合いなさい

「今日」という言葉が何度か出てきますが、この「今日」というのは、「永遠の今」を意味する言葉です。ここでは、「今、日々励まし合いなさい」と教えているのです。私たちは、誰もが、あらゆることに躓き、弱い人間として生きています。だからこそ、私たちには教会という集まりが必要なのです。教会で、共に礼拝し、共に賛美し、そして共に励まし合うのです。一人の不信仰が群れを不信仰に陥れる危険性があると同時に、一人の信仰が、群れに信仰を与えるのです。教会の中心には、すべての者を信仰に導く信仰者、イエス・キリストがいてくださるのです。私たちはこのイエス・キリストに繋げられ、共に励まし合い、祈り合っていきたいと思います。

 

5:  安息にあずかる

不信仰のせいで安息にあずかることができなかったことを語ります。安息とは、神様を神様とする中でいただく安心です。神様が私たちを愛してくださっていることを素直に受け入れ、ただただ神様を信頼することです。

私たちの人生には、いつも問題が起こり、悲惨なニュースが続き、多くの争いがあります。ただ、そのような不安や恐れの中であって、神様の愛を信じる心と変えられ、安息を頂きたいと思います。私たちは、お互いに励まし合い、ただ神様に信頼して、不安の中にあって、安息を得るということを覚えていきたいと思います。(笠井元)