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2024.3.17 「十字架の道に選ばれた方」(要約) ルカによる福音書9:28-36

1:   モーセ、エリヤと語り合う

イエス様は、3人の弟子ペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山へと出掛けられました。イエス様の祈りの内に、イエス様の姿は変えられ、モーセとエリヤが現れ、イエス様と語り合っていたのです。モーセとエリヤは、旧約聖書における律法の部分と預言書の部分を代表する二人の人物です。イエス様が、この二人と語り合っているということは、イエス様が旧約聖書に出会い、旧約聖書の言葉と、イエス様の言葉が向き合い、語り合っているとも言うことができるのです。

この時、イエス様、モーセ、エリヤは、イエス様のエルサレムで成し遂げられる最期について、つまりイエス・キリストの十字架について話していたのです。35節において「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」(35)とありますが、イエス様は、旧約聖書が示すメシアであり、神様の選びを受けた者なのです。

 

2:  検討違いのペトロ

 ペトロにとってイエス様が、このような栄光の中に入れられているというのは最高の喜びでした。ペトロは弟子たちを代表して「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」(ルカ9:33)と言いました。このすばらしい時を覚えることが、いつまでもできるようにしたいと思ったのでしょう。

しかし、そのような思いは、全くの検討違いのことでした。イエス様は、この後、モーセとエリヤとの話を終え、十字架への道を歩んでいかなければならなかったのです。

 ここには、人間の限界性、弱さを見ることができるのです。聖書においては、いくつかの言葉を「罪」と翻訳していますが、その中の一つ「ハマルティア」という言葉があります。この言葉には、「的を外す」という意味があります。人間の罪の一つの意味としては、神様の御心から「的を外すこと」という意味があるのです。まさにこの時のペトロの姿です。

 

3:  祈られて、祈り歩む

イエス・キリストが十字架に掛かられた時、人々は、十字架の上におられるイエス様に向って「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」と叫んだのです。この十字架のイエス様に投げかける言葉も、神様の御心を知ろうとしない、「ハマルティア」、「的外れな言葉」でした。イエス様は、そのような私たち人間の姿を、ご覧になって「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈ってくださっているのです。

 

イエス・キリストは私たちのために祈っていてくださっています。私たちは、弱さを持つ中でも、イエス・キリストの執り成しの祈りに支えられている者として歩んでいきたいと思います。(笠井元)