皆さん、イースターおめでとうございます。イエス・キリストは、人間の救いのため、神でありながら人となり、人間の代表として死なれ、そのうえで死を打ち破り復活されたのです。イエス・キリストは、死に勝利されたのです。
1: 空虚の墓
「空虚の墓」は、十字架の死と復活を繋げる出来事となります。キリスト教においてキリストの復活こそが信仰の中心となります。これまでイエス様の時代から多くの人々が、イエス様の亡骸を見つけ出そうとしてきました。しかしこの墓が空であったということが覆されることはありませんでした。
2: 絶望の道を歩んでいた女性たち
女性たちはイエス様の墓に向かいました。女性たちの気持ちはどのようなものであったのでしょうか。それは悲しいとか、苦しいという思いを超えて、もはや生きる意味、生きる希望を見失った、絶望の中にあったのではないでしょうか。
3: 死に支配されている
人間は、誰もが命を与えられ、この世に生まれ、死んでいきます。どのような人間であっても、必ず死を迎えます。人間は、死に悩み、恐怖します。そして人間は、生きている中でも死に支配される者となることがあるのです。それは、ただ、死に恐怖しているということだけではなく、生きる喜びを失っている時、生きていく勇気や、感謝を失っている時、生きていながらも希望を失い、愛を失っている時、そこにはすでに「死の支配」が始まっているのです。女性たちは、まさに死に支配され、生きる希望を失っている状態であったのです。
4: 復活
聖書が教える復活は新しい命を頂くことです。それは、死なないということではなく、イエス・キリストが十字架上で死なれたように、このキリストと共に死に、そして、新しい命を得ることです。死に勝利した方、イエス・キリストの復活にあずかり生きること。そこに、私たちは生きる意味を見出すのです。
5: イエスの御言葉に出会う
女性たちが恐怖と絶望から解放されたのは、イエス様の言葉を思い起こすところから始まりました。女性たちが出会ったのは、復活されたイエス・キリストご自身ではありませんでした。女性たちが出会ったのはこれまで語られてきたイエス・キリストの御言葉です。
女性たちが思い起こしたことはイエス様が教えられてきた、自分たちが生きている意味、神様に愛されている喜び、そして決して失われることのない希望を思い出したのでしょう。
私たちはイエス・キリストの御言葉を受け取り、イエス・キリストによる神様の愛、生きる希望、そして感謝と喜びを受け取っていきたいと思います。(笠井元)