1: 神の栄光を現す 受難の予告
今日の箇所はイエス様が自らの死を予告する二度目の場面となります。この箇所の少し前でイエス様の姿が変えられました。イエス様の神の子としての栄光が現わされたのです。その後、弟子たちでは癒すことができなかった、悪霊に取りつかれたとされる者をイエス様が癒されました。人々は、神様の偉大さに心を打たれたのです。今日の箇所はそのような栄光の中におられるイエス様が語られた言葉となります。イエス様は栄光を現す姿として自ら「死」を受けられることを語ったのです。
2: 受け入れられない弟子たち
弟子たちはこのイエス様の受難の予告を理解することができませんでした。弟子たちは、イエス様が神様の栄光に包まれた姿を見て、その方が悪霊に苦しむ者を助けられた姿を見たのです。そのような方が死へと引き渡されていくことは、弟子たちからすれば受け入れられないことでした。45節の最後には「彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。」とありますが、弟子たちはイエス様の受難を理解することができなかったというよりも、理解することが恐ろしくて受け入れられなかったのです。
3: 神の言葉を耳に入れる
イエス様は「この言葉をよく耳に入れておきなさい。」(ルカ9:44)と言われるのです。この言葉とはイエス・キリストの苦難、死についての言葉となります。イエス・キリストは、その十字架の死を通して、どのような時も私たちと共にいてくださる方、私たちの苦しみを共に苦しみ、喜びを共に喜ぶ方となられたのです。私たちはこの言葉を聞き続けていくのです。
4: 変わることのない御言葉
私たちは、主の御言葉を耳に入れ、聞き続けていきましょう。この社会には様々な言葉が飛び交っています。私たちは何を聞き、何を聞かないでいるのか、選択していかなければなりません。私たちは、何よりも神様の御言葉を聞き続けていきましょう。「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」(Ⅰペトロ1:24-25)
神様の言葉は何が変わろうとも変わることはありません。永遠に変わることはなく、朽ち果てることもないのです。私たちはこの神様の言葉を耳に入れておきたいと思います。神様の言葉は、私たちの心を変える言葉となってくださいます。神様の言葉は、闇に光を、悲しみに喜びを、怒りに冷静さを、絶望に希望を与えてくださる言葉となるのです。私たちは、この神様の御言葉を耳に入れて歩き続けていきたいと思います。(笠井元)