1: 神様が求められていること
イスラエルの民はエジプトの地において奴隷という状態に置かれていました。そのようなイスラエルの民を神様は顧みて下さり、エジプトから救い出してくださったのです。ただ、イスラエルの民は、その神様の恵みを忘れ、神様から離れていきました。イスラエルの民は、金の子牛を作り、金の子牛を神としていったのです。そのようなイスラエルの民に、神様は「わたしがあなたに求めておられることは何か。」と問われ「それは、あなたが幸いを得ること」と教えるのです。神様の求めておられることは、私たち人間が幸せに生きることです。
2: 私たちが求めているもの
私たちは何を求めているのでしょうか。イスラエルの民は心を頑なにし、自分が欲しい物だけを求めていったのです。私たちは何を求めているのか。別の言い方をすれば、何を大切にしているのかと言うことができでしょう。そしてそれは、何を神様とし、また何の奴隷となっていくのかということに繋がっていくのです。イスラエルの民は権力の支配から解放されました。しかし今度は自分で自分を支配し始めたのです。これは、ただ人間のもつ権力のどこに立っているかが変わっただけのことでした。皆さんは何を神様とし、何の奴隷、何の支配下に生きているのでしょうか。
3: 神様が選ばれた者
神様はイスラエル民の先祖に心引かれ、愛し、選んだのです。イスラエルの民が選ばれた理由はイスラエルの民が、特別に純粋であったからでも、神様に従っていたからでもありません。神様は ただ弱く、小さい者に目を留められ、選び出されたのでした。これが神様の選びです。この世に、完全な人間はいないでしょう。だれもがどこかしら弱さを持っています。私たち人間は、弱い者なのです。そして、だからこそ、神様はすべての人間を選び出し、すべての人間を愛しておられるのです。私たちが自分の弱さを受け入れるとき、本当の強さ、神様の愛を知ることになるのです。
4: 弱い者として、弱い者を愛する
神様は「心を頑なにせず、あなたがたも弱い者を愛しなさい」と教えます。これが神様の価値観に生きる道です。私たちは今、自分が誰を愛し、何を大切にして生きているのか、もう一度考えていきたいと思います。神様は「あなたにとって、何もすることのできないような人・・・そのような人を愛しなさい」と、教えられているのです。
神様が私たちに求めるもの。それは、神様に愛されているお互いを愛しなさいということです。そして、私たち、すべての人間が幸せを得ることを求められているのです。そのために私たちは神様の愛、イエス・キリストを頂きましょう。(笠井元)