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2024.5.8 「神の確かな約束」 ヘブライ人への手紙6:13-20

1:  変わることのない約束・誓い

13節からは、神様とアブラハムの関係を語り、神様は約束を破棄されることはないと教えます。(6:13-17)「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」(ヘブライ6:14)これは創世記22章の言葉とされます。【22:16 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、22:17 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。」(創世記22:16-17

アブラハムが神様から頂いた息子イサクを神様の命令により、いけにえとして献げようとしたときの神様の言葉でした。アブラハムは神様の約束を信じ、祝福を頂いたのです。神様の約束・誓いは変わることはありません。ただこのことを信じることが難しいのです。自分自身が不確かなものだからでしょうか。人間がお互いを信じることで傷ついてきたからでしょうか。神様の約束は変わりません。そのことを信じるのが信仰です。

 

2:  真実の方の約束を頂く

 12節では【あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。】(ヘブライ6:12)とあります。「怠け者」とは、「怠惰」よりも「鈍い者」と読み取ったほうがよいと思います。ここでは「怠けないで、自分でもっと頑張りなさい」と言っているのではなく、真実に目を向けること、耳を傾けることをしない「鈍い者」となることなく、ただ神様の約束を信じる者となること教えているのです。

 

 人間は不確かな者です。自分の中に完全な信仰を持つことはできないのです。私たちに与えられているのは神様の真実です。私たちが神様を愛し、信じるのではなく、神様が私たちを愛してくださっているという真実を頂くのです。信仰の主体は神様です。神様の「慰め」「励まし」「慈しみ」は変わることはないのです。【神が偽ることはありえません】(ヘブライ6:18

ノアの時代、神様は「後悔」されました。【主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。】(創世記6:5-6

【主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」】(創世記8:21

神様は「怒り」「悲しみ」「喜び」と様々な感情を持たれます。神様の思い揺れ動くのです。「後悔」もされます。しかし、神様が「偽ることはありえない」のです。神様は義であり、真実な方です。同時に慈しみ、愛の方です。私たちは、真実なる方から祝福の約束を頂いているのです。これが希望となります。

 

3:  世から逃れる者

 【目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたち】(ヘブライ6:18)とあります。 「世を逃れて来たわたしたち」とは世捨て人を意味するのではありません。人々は、教会でキリストに出会い、確かな救いの恵みを受け取ったのです。この世の価値観から解放されたのです。この世の価値観から神様に囚われて生きる者とされたのです。しかしこの世に生きる限り、この世の誘惑は続きます。「世を逃れて来たわたしたち」とは、そのようなこの世の誘惑から逃れて生きている私たちという意味の言葉となります。私たちは、確かな神様の希望に立ち、この世の誘惑に囚われることなく、変わらない希望を持ち続ける必要があります。

 

4:  力強く励ますための言葉

18節では【目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。】(ヘブライ6:18)と言います。

 当時、人々は苦しい状況にありました。外からの圧力、迫害があったのか、または内部での分裂があったのか、様々な理由が考えられていますが、キリスト者と生きていくことに希望を持てなくなった人々がいたとされます。

教会では何を得ることができるのでしょうか。「キリストによる」確かな希望ではないでしょうか。違うものに希望を求めても得ることはできないでしょう。

 ヘブライ人への手紙13:22では【兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください】(ヘブライ13:22)と語ります。「勧めの言葉」は、「勧め」以外に「励まし」「慰め」という意味のある言葉となります。教会で得ることができるのは「キリストによる励まし、慰め」です。

 

5:  錨のような希望

 19節では「錨」という言葉を通して、神様の希望の「安定性」を語ります。当時の地中海地方ではよく使われた表現であったようです。錨は安定の象徴でした。神様の真実は何がきても流されることのない、決して変わることのないものであることを表しています。

 この安定をイエス様が私たちの先駆者として、大祭司となられたこととしても表します。イエス様は、私たちに先立って道を開き、神様に出会う場所へと行かれるのです。私たちは、そのイエス様が開かれた道を歩くことが許されたのです。(笠井元)