1: それぞれの人生に関わる方
イエス様はガリラヤからエルサレムへと向かう決心をして歩き出していたのです。一行はその道を進んでいました。イエス様はこれまでも様々な人々と出会い、その一人ひとりの人生に関わってこられました。今日の箇所では3人の方がイエス様と出会っていきます。イエス様に「従いたい」という思いを携えてやってくる人もいれば、イエス様が「わたしに従いなさい」と声をかけてくださった人もいました。ここからイエス様に従うとはどのようなことなのかを3人の人を通して教えています。
2: 自分の力でイエスに従う者
最初の人は、イエス様に「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」(9:57)と言いました。この人の心の中には、自分の力でイエス様に従うことができるという思いがあったのでしょう。これはイエス様の弟子ペトロと同じです。イエス様は「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(9:58)と言われました。イエス様に従うということは、この地上において安住の地がなくなるということ、そしてそれは、人間の自分の力ではできないということを教えておられるのです。
3: イエス・キリストに出会っていく
二番目に登場した人は、イエス様が「わたしに従いなさい」(9:59)と招かれたのです。イエス様は「わたしに従いなさい」と、私たちを招いてくださっているのです。この招きに対して、この人は「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」(ルカ9:59)と言いました。これは律法で定められていたことでした。ただイエス様は形だけ律法を行うことを批判したのです。私たちは、イエス様が福音を語り、何をなされて生きたのか見て行きたいと思います。イエス様に出会う人々は、心を癒され、死んでいた者は生きる者とされたのです。イエス様の招きは、このイエス・キリストに出会うための招きです。
三人目の人は、まず家族にいとまごいをさせてくださいと言います。この者はイエス・キリストよりも、家族との関係を大切にしようとしたのです。ほとんどの人は家族がとても近い関係となっているでしょう。そのため、家族関係では、時にあまりにも近くなりすぎ、依存状態の関係になってしまっていることもあれば、力による間違った支配関係が生まれていることもあるのです。イエス様は「まず私に従いなさい。私との関係を土台として、そこから家族との関係、そしてすべての人間との関係を作っていきなさい」と教えられているのです。イエス様は、私たちが、この世において、全ての人と愛し合い、共に支え合い、共に生きるために、まず、「私に従いなさい」と教えられているのです。(笠井元)