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2024.6.12 「大祭司イエスが与えられている」 ヘブライ人への手紙8:1-13

1:  大祭司イエスが与えられている

 1節では「わたしたちにはこのような大祭司が与えられている」と言います。「このような」とは7章で語られた「永遠に生きている」「執り成しておられる」「聖であり」「罪なく」「汚れなく」「罪人から離されている」「ただ一度、自分自身を献げられた」方となります。私たちには、このような大祭司イエス・キリストが与えられており、この大祭司イエス・キリストが私たちと神様を繋いでくださっているのです。

このような大祭司がおられるからこそ、私たちは何があろうとも絶望することはないでしょう。私たちの人生では様々な問題が起こります。世界では多くの戦争や災害という日常の生活が一変するようなことが起こっているのです。私たちの人生には「まさか」「なんで」といったことが起こります。そのような時に、私たちは、永遠に生きて、私たちを執り成し、そのためにご自身を献げられた方が与えられているということを覚えたいと思います。

 「まさか」といったことが起きた時、私たちは「自分がこんなことをしたから、ばちが当たった」と考えてしまうことがあります。そこから見えない何かに縛られて、生きる意味を見失い、努力することも出来なくなるのです。当時のヘブライ書の読者もそのような状態にあったとされます。もはやイエス・キリストを信じても意味がない。教会に繋がっていても意味がないといった思いにあったとされます。

そのような時に、このイエス・キリストの執り成しがあることを覚えたいと思うのです。何があろうとも、どれほど絶望するようなことが起ころうとも、私たちは一人ではないのです。

 

2:   仕え、礼拝されている

2節では大祭司イエス・キリストは天において仕えておられるとあります。この仕えるという言葉は、別の意味では「役人の仕事」「祭司の務め」という意味があり、「祭司の務め」ということから「礼拝」という意味の言葉でもあるとされます。イエス・キリストは、私たちのために礼拝し、祈ってくださっている。神様と私たちの間に立っていて下さるのです。【しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。】(8:6)イエス・キリストは、神様に仕え、礼拝をされています。それは、この世の大祭司が行っていた務めよりも、はるかに優れた務めとされ、更にまさった契約の仲介者となられたのです。

                          

3:  天におられる方の右の座におられる

イエス様は【天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられる】(ヘブライ8:1-2)と言われます。

イエス様が天におられるとすると、かけ離れたところから、高みの見物をしているようにも感じてしまうかもしれません。そのような時、イエス様が地上に来られたこと、地上で何をなされ、どのように生きたのかをもう一度考える必要があるでしょう。主イエスは、この地上において社会からはじき出された人々のもとに歩みよられ、罪人とされ、誰とも一緒に食事をすることも出来なくなっていた人々のもとに来て、一緒に食事をし「あなたの罪は赦された」と語ってくださったのです。つまり、「神様はあなたを愛しておられる」ということを知らせるためにこの世で生きてくださったのです。

7章27節では【この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。】(ヘブライ7:27)とあります。神様の愛の御業としてイエス様はこの世に来て生きてくださった。イエス・キリストは、人間となり、人間に寄り添い、生きてくださった。そして、今、天とされる神の右において、神様と、私たちの間に立って、仲介者となってくださっているのです。

「天」とは、宇宙の彼方というよりは、私たち人間では到底届かない、人間の力では繋がることができない場所と考えてもいいと思います。私たちは、自分では神様と繋がることはできない。だからこそ、イエス・キリストがこの世にきてくださり、今も、そして永遠に、神様と人とを繋ぐ方となってくださったのです。

 

4:   新しい契約 大祭司イエス・キリストによって繋げられた契約

 8:7では、最初の契約には欠けたところがあったとします。そして、だからこそ、イエス・キリストによる第二の契約が必要だとするのです。8節から、エレミヤ書31章からの言葉を引用して語ります。(8:8-9)出エジプトの後に神様とイスラエルは契約を結んだのです。しかし人間はこの契約に忠実ではなかった。人間は契約を守り切ることができない弱い者だったのです。人間が不完全な者であるからこそ、律法は不完全なものとされたのです。

神様はそのような人間の不完全さを知った。その人間を愛するためイエス・キリストを通して、無条件の愛を与えられた。第二の契約を結ばれたのです。(8:10-12

 イスラエルの人々は契約に忠実ではなかった。だからこそ、神様はそのようなイスラエルと新しい契約を結んだのです。主なる神が「わたしが彼らの神となった」のです。神様は、人間が律法を行うことが出来なくても、その罪を赦し、愛する関係を作ってくださったのです。【わたしは、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。】(12)と言います。イエス・キリストという仲介者が立てられ、神様と人間を繋いでくださった。これがイエス・キリストによる、新しい契約、救いの御業です。(笠井元)