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2024.7.10 救いをもたらすために現れてくださるキリスト」 ヘブライ人への手紙9:15-28

1:  励ましのメッセージ

 ヘブライ人への手紙は、いつ、だれに向けて書かれたかはわかっていません。内容としては、苦しみ、疲弊した教会の人々に向けた励ましのメッセージであるとされます。ローマ帝国の迫害か、それとも、教会内部の分裂か、それともまた別の理由によるものなのか、教会の人々は、キリスト者として歩むことに疲れてしまっていたとされるのです。

 そのような者たちを励ますために書かれたこの書簡では、イエス・キリストのことを「大祭司」として語ってきました。

4、5章では大祭司イエスは、私たちの弱さに同情される方、弱さを身にまとい、無知な人、迷っている人を思いやることができる方として、語られてきました。(ヘブライ4:155:2)イエスとは、疲れた者たちに寄り添う方としての大祭司とするのです。イエス様が共におられる。これがまず疲れた人々に与えられた励ましのメッセージでした。

7章では、「イエスは永遠に生きておられ、聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司であり、それは、常に人々のために執り成しておられる方」とされます。(ヘブライ7:24-26)イエス様は私たちが苦しむ時共に苦しみ、私たちが痛む時共に痛んでくださる方です。同時に、私たち弱さを持つ者を執り成して下さるのです。

そのうえで、今日の箇所では、「キリストは新しい契約の仲介者」とします。(ヘブライ9:15)この「契約の仲介者」という言葉は8章6節にもある言葉で、8章から新しい契約の仲介者としてキリストが死んで下さったことを語っています。イエス・キリストはただ執り成し、祈ってくださっているだけではなく、自らの命を懸けて、私たち人間と神様とを繋いでくださったのです。

 

2:   わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる

新しい契約は、エレミヤ書31章を引用してヘブライ書8章8節からに記されています。10節、12節でこのように言います。【『それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。』】【「『わたしは、彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。』」】(ヘブライ8:10,12

 【わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。】(ヘブライ8:10)新しい契約とは、神様が、「不義を赦し、神を神として礼拝する関係に生きること」を赦すと言われているのです。

 イスラエルは、以前はエジプトに支配され、当時の教会は、ローマ帝国に支配されていました。現在の私たちは何に支配されているのでしょうか。何にも支配されることなく自分が主体となることを自由とすることがあります。それは本当の意味での自由となるのでしょうか。それは一見自由のように見えますが、欲望に支配されているのであり、本当の意味で自由を得ているのではないのです。

 「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」神様を神様とし、神様との正しい関係、愛に留まることによって、本当の自由を得ることができるのです。

 

3:  キリストの血による契約

16節からは遺言に例えて語り、この契約の成立には、イエス・キリストの死を必要とするということを教えています。(ヘブライ9:18-22)最初の契約は雄牛と雄山羊の血によって清められ、血を流すことによって成立したのです。これらのものを23節では、天にあるものの写し、別の訳では「天にあるものの模型〔である地上のもの〕」と訳しています。それに対して、「天にあるもの」別の訳では「天上の〔原型〕そのもの」とされる契約は、キリストの血によって成立するのです。

9:24 なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。】(ヘブライ9:24)イエス・キリストは、自らの血をもって、神の前に現れてくださった。神様に顔を向けることは人間にはできず、旧約聖書では「死」を意味しました。イエス・キリストが神様と顔と顔を合わせて立ったことは、神様と人間を繋げるために、イエス・キリストが、神様と人間の間に立ってくださっていることを意味するのです。

人間は、神様に祈り、礼拝することも、イエス・キリストを通してこそできるのです。これが新しいイエス・キリストの血によって立てられた契約による恵みです。

 

4:   救いを待ち望む

 最後の28節では、イエス・キリストの再臨について語られています。【キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。】(ヘブライ9:28

 ヘブライ書では、すでに何度もイエスが大祭司であることから、新しい契約のために死なれたことが語られてきました。

 

 そしてこの9章の最後にもう一歩踏み出し、キリストがもう一度来られることを語るのです。私たちは、このイエス・キリストの再臨を待ち望むのです。最初に言いましたが、このヘブライ書は励ましのメッセージです。ヘブライ書はここで、キリストが多くの人々の罪を負い、死なれたこと、そのうえで、もう一度来られるという言葉をもって、人々を励ますのです。この再臨を待ち望む時、私たちは、本当の希望と励ましを得るのでしょう。どれほどの困難にあっても、主イエス・キリストが必ず来て下さる。必ず神様の愛がすべての闇を打ち破る時がくるのです。(笠井元)