1: 生きるのに必要なもの「祈り」
アウグスティヌスは「祈りとは息をすることだ」と言い、私たちが生きるために祈りは必要不可欠なものであるとしたのです。私たちはそれほどに祈りを大切にし、求めているでしょうか。人間は祈る生き物なのです。人間は祈りを必要とする者なのです。私たちは、自分が生きるのに必要なものは、祈りではなく、もっと違うものだと考え求めてしまっていないでしょうか。そのような私たちに、イエス様は祈りを与えて下さったのです。
2: 祈りを求める弟子たち
弟子の一人がイエス様に「祈りを教えてください」(11:1)とお願いしました。弟子たちが祈りを求める姿はへりくだりの姿として見ることができます。イエス様の祈りの特徴は、最初の一言「父よ」という言葉にあります。イエス様の祈りは、幼児が父を呼び求めるように、神様を信頼して祈る相手として呼びかけることが許されている祈りです。私たちと神様はそのような関係に置かれているのです。弟子たちが求めたのは、このイエス様と神様との関係性です。
3: イエスを通した祈り
神様を信頼し、その関係に入れられていることを信じたこの祈りは、イエス・キリストを通してこそ成立する祈りなのです。神様は、この世にイエス・キリストを送ってくださいました。それは、このイエス・キリストによって、私たち人間と向き合うためです。私たちはイエス・キリストに繋がる者として神の子とされたのです。
4: 中心に神を置いた祈り 「願い」
イエス様の教えられた祈りの内容は「願い」です。祈りには「感謝」「悔い改め」と色々な思いがあります。心の思いをさらけ出して神様に叫ぶのです。ただ、主の祈りは、基本的に「願い」が中心となっています。主の祈りの中心にある願いは、「神様、この世に来て下さい。そして隣に来てください。私たちは罪ある弱い者です。だからあなたが隣で助けてください。私たちに命を与え、命を守り、救い出してください。」という願いであり、神様を自分の心の中心に置いた祈りなのです。
5: わたしたちの祈り
イエス様が教えられた祈りは、「わたしたち」が主語となった祈りです。主の祈りは「わたしたち」のために願う祈りです。「わたしたち」には「敵」「憎む者」も含まれます。また「わたしたち」の中にイエス・キリストが入ってきてくださったのです。主が祈っていてくださる。これが「わたしたちの祈り」「主の祈り」です。