1: 召天者記念礼拝
今日は召天者記念礼拝です。神様は、御心のうちに私たち一人一人を創造し、そしていつの日か、その命を御許に召されます。死は神様の愛の御許に召される時となります。死はすべての人間に必ず訪れます。死はすべての人に平等に与えられます。そしてこの死を越えて、イエス・キリストは私たちと共にいてくださるのです。神様の愛は死に飲み込まれることはないのです。
2: 何をもって主の前に出るのか
ここでは何をもって神様の御前に出るべきかが問われています。イスラエルの王、アハズ王はあまりの不安からわが子を神に捧げたと言われています。これは異教の習慣であり、キリスト教ではイエス・キリストによって、もはやあらゆる犠牲が必要のないものとされたのです。ここでは、神様は何かを持ってくること、何か献げものを求めてはいないと教えます。神様が求めているものは私たちが持っている何かではなく、「わたし」自身であり、「あなた」自身です。
3: 神様の求められている道
私たちがなすべきことは「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」です。私たちは、心のどこかで神様がこのように求められていることを感じ取っているのではないか。ただ人間はあれこれと理屈を重ねて神様を信じようとしないのです。心の中に「自分を中心に生きていきたい」「自分のためだけに生きていきたい」という思いがあるのではないでしょうか。
今日は、神様の御許に召された方々の生き方を思い起こす時となります。この信仰の先達の皆さんは神様と向き合う道を選び取ったのです。神様が求めている「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神様と共に歩むこと」を知り、その道を歩もうと決心をされたのです。
私たちは、自分自身に問いたいと思います。神様が求められていることに応えて生きていくのか。それともあくまでも自分の欲と心の本音を一番にして生きていくのか。考えていきたいと思います。
4: 神と共に歩む
私たちは、神様に造られた者であり、自分で自分を造り、生まれた者ではありません。だからこそ、命の尊さがあるのです。神様は、私たち人間と共に歩む道を選び取られました。神様は、私たち人間を愛してくださっているのです。召された方々は、今、この神様の愛の御許におられます。私たちは今この時に、神様の愛を頂きたいと思います。神様の愛を持って、神様と共に、歩み出しましょう。 (笠井元)