1: ファリサイ派との食事
イエス様はファリサイ派の人からの食事の招待を受け、応えて行かれました。食事を共にすることは仲を深めるための大切な時となります。ただ時には、その関係が離れていくこともあるかもしれません。イエス様とファリサイ派の人は、この食事の場を通して、心を深く通わせることにはなりませんでした。イエス様はあえて身を清めないという行為をされることによって、戒めを守るということの本当の意味を共に考える時とされたのです。
2: 心の内側を見る
イエス様は、「あなたがたファリサイ派の人々は、戒めを守ることだけを大切にしてはいるが、実際にその中にある心の内側はどうなっているのでしょうか」と尋ねられたのです。イエス様は、ただ行為として正しいことをしようとする者に対して、その心の内がどのようになっているのかを問われたのです。
3: 戒めによって、他者を裁く者
ファリサイ派の人々は、感謝をもって献げることを忘れ、ただ献げ物をすることで、「自分は正しい」とし満足感、優越感を得ていたのです。また、イエス様は44節で「あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。」と言いました。これは「あなたがたが、ただ外側だけを大切にするとき、あなた方は人目につかない墓となっている。つまり、気がつかない間に人を汚すものとなっている」と教えられているのです。それは戒めを守ることによって「自分は正しい」と考える中で、他者を裁き、差別する者となってしまうということです。
4: 重荷を負わせる者
イエス様は、律法の専門家に対しても「あなたも神様の前に立ちなさい。あなたも自分の心を神様の前に出しなさい」と教えます。律法の専門家は、人々に、背負うことのできない戒めを与え、重荷を聖書から負わせていたのでした。これもまた周囲の人々を、神様の恵みから遠ざけていく行為です。
5: 受け止め、変えてくださる方
イエス様は「あなたたちは不幸だ」と6回も繰り返されて語ります。このイエス様の言葉は、私たちを、しっかりと受け止めて下さる中でなされたイエス・キリストの嘆きです。イエス・キリストは私たちのことを受け止めてくださっています。イエス様は私たちと向き合いそのうえで、「あなたたちは不幸だ」「あなたたちは心を変える必要がある」「わたしと共に心を変えて、共に歩んで行こう」と語り続けてくださるのです。この主イエスの言葉に耳を傾け、招きに応えて歩んでいきましょう。(笠井元)