1: 神の選び
マリアのもとにガブリエルがやって来て「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1:28)と、何の前触れもなく知らせてきたのです。マリアはまだ16才程度です。そのような少女が何をもって、救い主イエスの母として選び出されたのでしょうか。マリアは何も持っていなかった。それが答えだと思います。神様の選びは、何かを持っているとか、何かを持っていないといったことによってなされることではないのです。
2: 恵み
マリアは恵みを頂いたのです。ある本に「良いことと悪いことはいつも半分ずつある」という言葉がありました。私としては、苦難はそれほど簡単なことではないと思いますが、良いことの裏を見ること、悪いことの裏を見るという視点は大切ではないかと思いました。私たちの生きていること、そのすべてにおいて、それは時に恵みであり、時に困難であると言うことができるでしょう。マリアが神様から頂いた恵みは絶対的な恵みです。それは、人生の根底にイエス・キリストが来て下さったということを意味しているのです。
3: 戸惑い
マリアは戸惑いました。マリアは、「主があなたと共におられる」と言われても、それをそのまま受け入れることはできませんでした。マリアは天使の言葉に対して「どうして、そのようなことがありえましょうか」と答えました。社会はイエス・キリストを必要としません。そのような中で、突然「神様があなたを愛しており、共にいてくださっている」という言葉を受けても、そこには戸惑いしか生まれないのです。
4: 聖霊を送りイエスをもって自らを差し出された神
戸惑うマリアに、天使ガブリエルは「神にできないことは何一つない」と言いました。神様は、マリアに「聖霊が降る」と言い、マリアのところに自らを差し出されたのです。神様は、戸惑い、不安に生きる私たちのところに、自らを差し出されたのです。その最大の出来事が、イエスがこの世に来られたということです。
5: お言葉どおり、この身になりますように
神様が、自らを差し出して愛してくださった。その神様の恵みを信じて、今度はマリアが自らを差し出す決心をしたのです。私たちは、自らの命を私たちに向けて差し出された神の愛を土台として生きることができるでしょうか。マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38)と言いました。それは、命を差し出された神様にまっすぐ向き合い、自らの命を差し出した姿です。私たちも、このマリアの信仰告白に連なる者として歩み出したいと思います。(笠井元)